憂うべき社会の風潮

サンケイ化しつつあるバカ雑誌の記事。
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/aera-20090430-01/7.htm

 誰だって酒を飲んで、日頃とは別キャラで振る舞いたいと思う時があるだろう。今回の事件は被害者がいるわけでもない。何も逮捕までしなくても、とも感じる。しかし、人気者が背負った代償は大きい。

ここが違う。問題の核心は家宅捜索である。逮捕だけならまだしも、こんな微罪で家宅捜索までされては、他に何か重大犯罪に関連するところがあるのではと勘ぐる人が出てもおかしくはない。
そして、被害者がどこにいるかどうかわからない軽犯罪を指して、法務大臣も務めた政治家が「最低最悪」と人格まで否定する発言をする世の中である。
彼が人気者だから擁護するのではない。警察が家宅捜索までしたのには一罰百戒の効果をねらう気持ちがなかったとは言えまい。これを容認しては、いずれ誰の身の上にも起こりうることになるだろうから問題なのだ。
社会の迫害に耐えて喫煙を貫いている私としては、「いや、草なぎにも悪いところがあったのでは」と警察と元法務大臣を擁護する声が、しかも日頃リベラルな議論をされている識者の方々から日増しに高まっていることに恐怖を覚える(直接そういっている人はいないかもしれないが、恐怖と怒りに逆上した私には皆同類に見える)。なるほど、左翼とか、リベラルとか、フェミニストというのは信用ならない。腹の底から沸き上がる怒りを押さえきれない。
ある日、周囲に誰もいない公園で思わず一服付けた私が逮捕され、自宅が家宅捜索される。妖怪学関連の書籍が押収され、グロテスクな趣味に耽る異常者として報道される。そしてついには、ある伝説の解釈について記した草稿が、教育基本法に定められた日本国の伝統文化についての政府解釈から逸脱していることをもって危険思想の持ち主と烙印を押される。公共空間での喫煙については数万円の罰金が課せられる程度だろうが、仕事は切られ、喫煙の悪習を絶てない意志薄弱者として社会的には抹殺されたも同然の身の上となる。
煙草嫌いで、フェミニストである妻は、それでもきっと私をかばってくれるだろう。しかし、その彼女にも、喫煙者と暮らす異常者、しかも、夫婦別姓を求めて事実婚を続ける危険思想の持ち主として、右からも左からもバッシングされ、身の置き所がなくなるに違いない。当然、妻も収入は途絶え、わが家は困窮する。
そして、なけなしの貯金をはたいて私ども夫婦は最後の晩餐を囲むことになる。
そんな近未来が予想される。
こんな戯言を公開のブログに書いていられるのも、いつまでのことか。