レノン忌や木々に紅葉のなかりける

今日はレノン忌なので、ジョン・レノンの曲がやたらとかかる。
ジョンが死んだとき、ラジオ、テレビが流したのは、ビートルズ時代の、それもポール・マッカートニー主導で作られたLet it beやYesterdayだった。日比谷の野外音楽堂で行われたジョン・レノン追悼集会も会場が埋まらず、寂しいものだったことを思えば今昔の感に堪えない。
ジョン・レノンジョン・レノンとして認知されるようになったことはファンとしてはうれしいが、賞賛一辺倒なのはどうかと思う。
ジョンの曲には駄作もあるし、彼の「平和運動」も思い付き的なものが多かったし、詩や社会的発言の背景にはニューエイジと呼ばれたアメリカ版スピリチュアリズムの影響が濃厚で、手放しに肯定するわけにはいかない。いや、そうしたことについても一ファンとしては、いくらでも弁護論をひねり出したいところだが、「愛と平和」のシンボルとして扱われるようになると、ちょい待ち、と言いたくなる。
例えばImagineやMind gamesは曲としてはいいが、あの歌詞は精神世界の平安を歌うものであって、メッセージとしては「心のノート」とたいして違わない。思えば叶う、って念力じゃないんだし、それとも安手のビジネス書か?っていうくらいのことを言っていたわけだから。
どんなにすぐれた人でも、歴史的限界というものはあるものだ。それを指摘することは一方的におとしめることとは違う。むしろ、ひいきの引き倒し、ホメ殺しにならないように、好きだけれどもあえて距離を置いて批評する、ということをそろそろ誰かがやってくれないものだろうか。

ビートルズファンの方へ

上の記事、仕事の合間にラジオを聞きながら印象論で書き流したものです。けなすつもりで書いたわけではないので、ビートルズファンの方、お気を悪くなさらないように。
僕も25年前、寒さに震えながら日比谷でキャンドルデモに参加した一人です。ジョンのアルバム、ウェディングをのぞいて全部あります。
でも、反戦デモなんかで日本語でイマジンを歌っている人を見かけると、ちょっと違うんじゃないか、と感じてしまうのです。すべての人が戦争が終わることを願えば、想像するだけで世界は平和になるでしょう。けれども、それがありえないからこそ、いろいろ考えるわけじゃないですか。その考えるきっかけとして「想像すること」はいいけれど、そこどまり、っていうのもねえ。
もちろん、Happy Xmasはいい歌ですよ、僕は大好きです。