森茂起著『トラウマの発見 (講談社選書メチエ)』

あれからもう十年もたったのか、と時の経つ早さに驚かざるを得ないが、1995年、日本社会は阪神・淡路大震災とオウム・サリン事件に深刻な衝撃を受けた。精神に癒しがたい苦痛を伴う痕跡が刻みつけられることを意味するトラウマ(心的外傷)という心理学用語が一般に広く普及しはじめたのはその頃からのことである。
以来「トラウマ」という言葉は心にうけた被害を言い表す便利な言葉として、世間を一人歩きしはじめた。その中には心理学・精神医学用語としての定義から逸脱した用法も見られる。例えば、教師や親に叱られた子どもが「そんなに厳しく言うとトラウマになる」と抗弁したり、恋人に別れ話を切り出された男が「きっとトラウマになる」と未練がましくすがりついたり、といったように。こうした風潮があることから、トラウマなんて被害者を装いたがる人のレトリックにすぎない、という声まで挙がるようになった。
しかし、無茶な拡大解釈は論外として、トラウマによる後遺症(PTSD)に悩む人々は現実に存在するし、トラウマ的記憶が想起されるときの苦痛は並大抵のものではない。トラウマという語の逸脱した使用があるからといって、その内容までをも全否定するのは、言葉の潔癖症とでもいうべきだろう。ジェンダー・フリーについての論争にも似たような傾向を感じる。中年になってよかったと思うのは、概念規定を厳密にして相手を言い負かすことはゲームのレベルでならいざ知らず、現実にはあまり効力がないということ(ここで言う「ゲーム」、「現実」、「効力」も当然曖昧な用法である)を知ったことだ。
それはともかく、本書はトラウマという現象が発見され、概念が形成されてきた歴史をたどり、これほど普遍的に見られる症状がなぜ20世紀後半に至るまで見過ごされてきたのか、また、トラウマ学が成立してからもさまざまな攻撃にさらされてきたのはどういう理由があったのかを解明していく。

トラウマの発見 (講談社選書メチエ)

トラウマの発見 (講談社選書メチエ)