妻がクリスマスや正月はそれらしくしたいというので、玉ねぎとエリンギのコンソメスープ、サラダ(アボガド、トマト、チーズ)、ローストチキン(市販のもの)、ケーキ。
ケーキは近所で評判の洋菓子屋に前日に行ったら「予約は受け付けていません、当日のみです」と言われて、あらためて当日、足を運ぶと、なんと予約者のコーナーがあって、整理券を持った人が並んでいるじゃありませんか。思わずショーケースを蹴倒してやろうかと思いましたよ。もっとも、すぐに前日の店員の言い間違えだろうと気がついて、それとなく確かめると、「予約は(当日までは)受け付けていません、当日(の午前中)のみ(の受付)です」が正解だとわかる。
敢えて文句をつけるとしたら、接客マニュアルを作っておかなかった店舗管理者に対してだろうが、別にそれほどのことでもないし、幸い売れ残っていたものがあったのでそれを買って、黙って帰りました。でも、もう二度と行かない。よそより高いもの売ってんなら、それくらい気配りしろ。今度から、いつもの商店街のおじちゃんの店で買おう。

マニュアル対応は悪くない

で、ちょっと思ったのは、コンビニやファストフード店のマニュアル対応に文句を垂れる人がたまにいるが、あれはしようがないのだ、ということです。

来客に情報をいつでも手際よく正確に伝えるには、それ相応の訓練や慣れが必要で、時間も手間もかかる。デパート店員なみの慇懃な客あしらいを身につけるまでの苦労は、本人はもとより指導する側にとっても並大抵のことではない。私は若い頃、某老舗の古株店員さんに、言葉遣いはもとより、手の上げ下げから目配せのしかたに至るまで叩き込まれたことがあります。お陰で何度目かの転職のときに大いに役立ちました。

けれども、その転職により、今度は接客を指導する側に回ってみて思い知ったのは、アルバイトにそれを要求するのは無理だから、スーパーやコンビニのマニュアル対応もやむをえない、ということです。

上流志向の道楽娘が親の遺産で遊び半分にやっている会社に勤めたことがありますが、その経営者が部下に求めたのは、イギリス貴族の執事のような態度でした。でも、低賃金労働者にそれを要求しても無理。誰もそんな気配りをしていられる余裕はないもの。案の定、ちょっとした落ち度でどんどんクビになる。

冨家の執事とか大店の大番頭って、それ相応の給料をもらっている専門職でしょう。その育成にもたっぷり時間も手間もかけているはず。それを惜しんでいるくせに、高いレベルの勤務態度を求めたってどうにもなるわけがない。

コンビニの店員も同じこと。仕事は素早く手際よく、けれども言葉遣いと身のこなしはあくまで優雅に、なんて、すぐれた指導者に時間をかけて教えられ、かつ、その修業が十分報われるあてがなければ身につくわけがない。

人材育成のコスト(時間と人と金)を惜しんでいる社会で、最近の若者の敬語はなっておらん、なんて、いうも愚か。

そもそも、礼儀作法とか敬語なんて、あれ自体、立場の違う人同士が余計な摩擦を起こさずにつきあっていくためのマニュアルではなかったでしょうか。だから、マニュアル的なものがいかんといったら、礼儀もへったくれもなくなってしまう。マニュアルのせいで敬語がすたれたのではなく、ちがう種類の敬意表現の体系が日本に生まれつつある、と考えた方が、よしあしは別として、よほど実際にかなうと思うんです。

そういえば、芝居の『忠臣蔵』で、浅野と吉良の間で確執が起きたのも、接待のマニュアルがもとでした。

イライラのつのるクリスマス

宅配は時間通りに来ないし、体調不良は続くし、イライラのつのるクリスマス連休です。