『論語』の矛盾

だらだらと『論語』における、管仲という政治家についての孔子の評価について、ああでもない、こうでもないと考えていたのは、それが、孔子の説く、仁と礼の関係にかかわるように思われるからである。
顔淵編には次のような章句がある。

顔淵(がんえん)、仁を問う。子曰く、おのれに克(か)ち、礼に復(か)えるを仁となす。一日、おのれに克(か)ちて礼に復(か)えらば、天下仁に帰(き)せん。仁をなすはおのれに由(よ)る。しこうして人に由らんや。顔淵曰く、その目(もく)を請い問う。子曰く、非礼は視るなかれ、非礼は聴くなかれ、非礼は言うなかれ、非礼は動くなかれ。顔淵曰く、回、不敏(ふびん)なりといえども、請う、この語を事(こと)とせん。

仁がこの章句で言う通りのものであれば、礼儀知らずの管仲は仁ではありえないし、管仲が仁であるなら礼を知らないとは言えない。
「矛盾」という漢熟語のもとになった逸話は『韓非子』にあるが、もともと孔子を批判するための皮肉だった。両立しないことを言う孔子は、何でも貫く矛と決して貫けない盾を同時に売る商人のようないかさま師だと韓非子はいうのである。
孔子がいかさま師かどうかは、今の私には判断のつきかねることだが、とりあえず『論語』を読んでわかったのは、「仁」には積極的な定義かなく、「礼」には根拠がない、ということである。そして両者を関係づけようとすると、矛盾が生じる。孔子以後の儒家は、こうした矛盾を整合的に説明する理屈をあれこれ考えていく中で発展していったのだろう。