『孟子』墨子対孟子

天志篇に続いて『墨子』の宗教論である明鬼篇を読もうと思っていたが、墨家儒家の対立について別のアプローチがあったことを思い出したので、急きょ『孟子』を読んでみた。
以下に、墨家の夷子という人物と孟子との、人を介しての論争の要点を抜き書きする。
まず、孟子による墨家の薄葬主義批判。

聞けば、夷子は墨翟の説を信じているそうだ。あの学派では、葬式をなるべく手薄(質素)にして倹約するのが主義だというが、夷子もやはりこの薄葬主義で、天下の風俗を改革しようと考えておるのに相違ない。だから、どうしてこれ(薄葬)を正しくないのだからといって尊重せぬ筈があろうか。ところが、私の腑に落ちないのは、夷子が自分の親を葬ったときには、たいそう手厚くしたとのことだ。それでは、つまり自分のふだん賤しんでいるやり方(儒家の厚葬主義)で、親に仕えたことになる。(『孟子』上、岩波文庫、p224)

ここで孟子がしているのは、言行不一致を責める、いかにも典型的な嫌倫家的批判である。夷子は孟子の揶揄に反応していない。痛いところをつかれて黙ったのだろうか。それとも、いや墨子の教えは王侯貴族による国費の濫費を戒めるためのものだから庶民である自分がとがめられることではない、と開き直ったのだろうか。
夷子の側の反駁がないので、不発に終わったけれども、もし次のようであれば、ここにはチャンスがあった。それは「夷子は其の親を葬ること厚かりし」は、墨子の薄葬主義の正しさを信じつつも、亡き親への哀悼の思いが断ちがたく、であったり、あるいは、墨家集団を離れて暮らす夷子にとって厚葬を是とする世間の同調圧力に逆らいがたかったりして、やむなくそうしたのであれば、そこには理想と現実のギャップが生じ、自分の感情、あるいは世間の習俗などへの批評的視点が生まれる可能性はあった。もちろん、それはひるがえってみれば墨家の説く薄葬主義への批評ともなる。
しかし、いずれにせよ、孟子は、墨子の節葬(薄葬主義)に内在する矛盾を衝いたのではなく、それを単に否定するために、その実行しがたいことを指摘しただけなので、不毛な言いがかりをつけるだけで終わってしまった。
嫌みを言われた夷子は次のようなことを言い出す。

書経にある儒者の言葉にも『むかしの聖賢が人民を治めるには、まるで母親が赤子を保護するように大切にする』とありますが、これはいったい、どういう意味なのでしょう。私の考えでは、愛に差別はない。ただ、実際に愛してゆくには身近の親族から始めよとのことで、別に墨子の博愛と違わないと思うのですが。

夷子はなかなかいいところをついている。というのも、『孟子』は梁恵王章句上で次のように説いているからだ。

自分の父母を尊敬するのと同じ心で他人の父母も尊敬し、自分の子弟を可愛がるのと同じ心で他人の子弟をも可愛がる、さすれば、広い天下もちょうど手のひらに物でものせてころがすように、思うがままに治めていけるものです。詩経に『まず夫人をみちびき正しくし、ひいては兄弟を、そして国家は安らかに』とありますが、つまり、これは身近なものに対するその心を、そのまま他人にも移せばよいといったまでのことです。(前掲書、p58)

「身近なものに対するその心を、そのまま他人にも移せ」るのであれば、博愛(兼愛)と変わらない。ことさらに同心円的に、身内から徐々に遠くまで愛に等級をつける必要もない。この反撃に対して孟子は次のように応える。

書経にあるあの言葉は譬えをとってそういったまでで、そんな博愛などという意味なのではない。つまり、赤子が這っていって井戸などに落ちこみそうになるのは、なにも知らぬ赤子自身の罪ではない。親の不注意の罪なのだ。

つまり「赤子を保んずるが若し」というのは、親が赤ん坊が井戸に落ちたりしないように注意深く見守るのと同じように、君主も人民が法を犯さないように見守ることの譬えだという。
ところで、昔の中国の井戸には子どもがよく落ちたのだろうか?別の箇所で有名な「忍びざるの心」、「惻隠の心」を説くところでも孟子は井戸に落ちる子どもの例を挙げている。

たとえば、ヨチヨチ歩く幼子が今にも井戸に落ちこみそうなのを見かければ、誰しも思わず知らずハッとしてかけつけて助けようとする。これは可哀相だ、助けてやろうととっさにすることで、もちろんこれを縁故にその子の親と近づきになろうとか、村人や友達からほめてもらおうとかのためではなく、また、見殺しにしたら非難されるからと恐れてのためでもない。してみれば、あわれみの心がないものは、人間ではない。(前掲書、p141)

そしてこのあわれみの心は、仁の芽生えである(惻隠の心は、仁の端なり)という。打算抜きだから「損得を超えた価値」である。そして「惻隠の心無きは、人に非ざるなり」とまで言う以上、人間ならば誰もがみな惻隠の心=仁の端をもっている。それならば、井戸に落ちそうな子どもを見てとっさに助けようと駆け寄る人は、その子の親兄弟でなくとも、見ず知らずの通りがかりの人でもよいはずだろう。現に孟子の挙げた例は、そういうシチュエーションを想定しているように私には読める。
さて、そうすると、惻隠の心は、それが自分の子どもだから、弟妹だから、そうするのではなく、人ならばみな、誰に対してでもはたらくものと考えなければならない。惻隠の心がこのようなものだとすると、夷子ならずとも「之は則ち愛に差等なし」という墨家の兼愛説とどう違うのか疑問に思うところである。
けれども孟子は、夷子のように考えることは、一人ずつしかいないはずの父母が二人ずついると考えるようなもので、おかしな考え方だという。そういうことを言っているのじゃないでしょうに。おまけに、こんなたとえ話をする。大昔は、親が死んでも葬らず、谷間に捨てておいた。ところが、獣が肉を喰らい、虫がたかる様を見るに忍びず埋葬することを始めたのだ、という。このたとえ話も惻隠の心の変形バージョンである。孟子にとって惻隠の心はどうしても身近なものから始めなければならないらしい。それも、夷子の言うように実際の便宜上からそうするのではなく、特権的なものであるべきなのだ、と考えていることがわかる(だとすると、赤子の例はなんなのだ?)。情けないことに、夷子はこの話を聞いてシャッポを脱いでしまう。
根性なしの弟子に代わって墨子の薄葬説を弁護しておくと、墨子は埋葬をするな、とは一言も言っていない。面倒なので引用はしないが、棺桶や墓穴の深さなど埋葬の手順について指示している。ただ、生きているものの生活を圧迫するような費用や手間をかけるな、と節約のすすめを説いているまでだ。
孟子墨家の説を薄情すぎて実行しがたいと非難するが、墨子の兼愛説に立てば孟子の言っていることは身内びいきで不公正である。
どうも、孟子墨家批判は、論点のかみ合わない言いがかりのように聞こえてならないのだが、このすれ違いにはなお考える余地があるように感じるので、今ここで性急な結論を出すことは避けておきたい。