『墨子』非楽篇・節葬篇

荘子』天下編は墨家の特徴を「生きては歌わず、死しては服せず」と評した。これは墨家に対する世間一般の見方であっただろう。それでは墨子自身はどう言っているのか。

非楽篇

墨子が音楽を禁止したというのは事実である。だが、感情の発露としての歌を禁止したようには読めない。

墨子先生が音楽を非難されるわけは、大鐘・太鼓・琴・笛の音を楽しくないと思ってのことではない。(中略)耳はそれらの楽しさを知っている。けれども、考えてみると、上は聖王の仕事に合わない。下は万民の利益にならない。だから墨子先生は、「音楽をやるのはいけない」といわれるのだ。(本田斉『墨子』p293)

墨子とて音楽が楽しいことは認めている。だがそれは「天下の利を興し、天下の害を除くこと」にはならないので、やめろという。
墨子が音楽をやめよと説いている相手は、もっぱら王侯貴族たちに対してであり、それも国家の行事としての音楽についてである。
その理由は、もっぱら浪費の節約にある。楽器を作ったり楽団を組織して演奏させたりする余裕があるのなら、社会的に有用な財の生産に専念せよ、音楽に聴き惚れているヒマがあるなら政務に専念せよ、という。飢えた子の前で文学に何の価値があるか式の議論である(これはちょっとニュアンスが違ったかも知れないなあ)。

節葬篇

墨子』節葬篇を読む限り、人が死んでも葬式などしなくてよいとは言っていない。篇のタイトルが示すとおり節約せよと説いているだけである。
まず墨子は、親孝行とは何か、と問うて、それを「親が貧しければ豊かになるように努力し、一族の人数が少なければ多くするように努力し、家中が乱れればまるく治まるように努力する」ことだと定義する。その上で、厚葬久喪(盛大な葬儀と長い服喪)がそれにかなうかどうかを検討する。
墨子の言うところはこうである。盛大な葬儀に費用をつぎ込み、副葬品として財宝や家畜を埋め、人を殉死させたりすることは社会の財の浪費であり、また、三年とも言われる長い服喪期間は生産力を低下させ、貧困を招き、男女の交わりを抑制するから人口も増えない。統治階層が喪に服すれば、その間、政治も滞るので治安は乱れる。したがって、厚葬久喪は孝とはいえず、仁にも義にもかなわない。
一方で墨子は、(当時の中国では非常識だった)火葬する国などの例を挙げて、厚葬久喪もその反対の薄葬も、いずれも「自分の習慣を便利と思い、自分の風俗を適当と思う」だけのことであって、そのいずれが仁義にかなうというわけではない、と説く。そこで、厚葬久喪よりは経済的で、薄葬よりは手厚い程度の葬儀の方法を提案する。
始皇帝陵は極端なケースだとしても、王侯貴族の埋葬はかなり盛大なものだったようだ。お陰で、現代の歴史家・考古学者にとっては掘り当てれば宝の山だが、当時の一般庶民にとっては、税金は重くなるは、労役には駆り出されるは、で、かなりの負担が強いられただろう。墨子の主張は、この負担を削減せよ、というリストラの提言である。
それにしても「其の習いを便として其の俗を義とする」というのは、ほかにも応用の利きそうな着眼である。

節約の波紋

非楽篇、節葬篇ともに、その主旨は節用篇の「無用の費を去らば、以てこれを倍するに足る」に尽きる。墨子の主張の基本精神は諸国に戦争をやめさせることにあったから、戦争をして土地や財産や人間(労働力)を奪わずとも国家の経営が成り立つことを示すことにその主眼があった。
しかし、動機からいえば単純明快なこの節約のススメは、儒家との思想的対立を招いたようである。
儒家が厚葬久喪を唱えるのは、祖先の鬼神(霊)に仕えるため、音楽を重視するのは、音律の秩序が天の示した礼の秩序とみなされたためである。いずれも儒家にとっては譲れぬ一線であり、この点で墨家と激しく対立した様子が『墨子』、『孟子』、『荀子』などにうかがえる。
そこで墨子が天や鬼神をどう捉えていたかが、節葬・非楽にかかわって要点となる。