『墨子』天志篇

墨子』天志篇はなんともわかりづらい。現代語訳を追っていけばわからないということはないのだが、どうもヘンだ。
「天は義を欲して不義を悪む」というが、その理由に説得力がない。

どうして天が義を望み、不義をきらうということがわかるか、といえば、天下の人はみな、義を守れば生きのび、不義ならば死ぬ。また、義を守れば富み、不義ならば貧乏する。義を守れば世の中は太平になり、不義ならば混乱する。(本田済『墨子講談社、p253)

これは、そうであればいいな、ということを述べたものとして、であれば理解できるけれども、現実はたいていの場合このとおりにはいかない。むしろ、現実も常にこのとおりであるようなら、義・不義をあらためていう必要もないだろう。そんなことは、墨子の生きた時代でも、事情はたいして変わらなかったろう。だから、やはり、「天は義を欲して不義を悪む」というのは、一方では素朴な信仰告白のようなものとして、また、一種の反語として受けとめておくほかない。
とりあえず、天は義を欲するとして、その実現の形式を見ると、「夫れ義とは政なり。下従りして上を政すこと無く、必ず上従りして下を政す」とあって、既存の統治秩序を前提にした議論になる。士が庶民を正し、卿大夫が士を正し、三公・諸侯が卿大夫を正し、天子が三公・諸侯を正す。下位者は「未だ己をほしいままにして政を為すを得ず」徹底した上意下達であり、抗命や越訴は許されない。そして、最高権力者の天子を正すのが天である。天は義の最終審級として設定されている。結局、墨子は統治者に対して善政を行うよう求めている(これは儒家や法家、おそらく老子にも共通する)。
たしかに天子がことば通りに天意に忠実であれば、世の中まるく治まるように思われたかも知れないが、しかし、天命なき天子が、恣意的に天意を僭称したらどうするのか、という問題もある。墨子は、天罰がくだる、という。けれども、墨子の挙げる例「三代の暴王」に天誅を下したのは、現実には人間である。それが天意だった、と言われればそれまでだが、どうも割り切れないものが残る。
そこで墨子は天意の基準を示す。「天意に順う者、義政なり。天意に反く者、力政なり」。このように義・不義とは何かが示される。義政は「大国にあっても、小国を攻めたりせず、大きな家にあっても、小さな家を奪ったりせず、強者は弱者を脅迫せず、身分の高い者は低い者を侮らず、悪賢い者は愚者をだまさない」(p260)政治であり、力政はその逆である。
このように天意は天子のみが窺い知ることのできるミステリアスなものではなく、拍子抜けするほど明白なものとして語られる。
だから墨子は、天意とは職人の用いるコンパスや定規のような「天下の明法」であるという。
さて、そうすると、上位者が下位者を正すのみ、というのもおかしくなる。墨子の出身階層がどうであったかはいろいろと議論のあるところのようだが、また、晩年、小国の大夫に取り立てられたという伝説もあるが、現実の墨子の活動は、都市国家防衛を引き受ける傭兵隊長のようなものであり、墨子墨子の弟子たちは、墨子の階級観によれば士に当たるだろうと思われる。とても天子に義を説ける立場にはない。
それでも墨子が「我れに天志あるは、譬えば輪人の規あり、匠人の矩あるが若し」という以上、天志としての義は身分階層に属するものではありえない。そもそも天子が天を祀るのも、「天が天子を正し治めるということを、はっきり天下の人民に説ききかせようと思った」からだという。実際にそうだったかは別として、墨子は権力を制約するものとして天を捉えている(もっとも憲法のようなものではなく、道義的な不文律としてだろうが)。
そこで下位者による上位者への批判の禁止と読めた「未だ己をほしいままにして政を為すを得ず」もあらためて読み直してみると、「ほしいままに」というところにアクセントを置いて読めば、すべての階級に恣意的な政治の禁止が課せられている、とも読める。天志は天下の明法であって、天下の百姓に説かれるものであれば、上位者の政治が天意に適っているかどうかが身分にかかわりなく知ることができる。それは、規矩によって天下の方円を図るが如し、でなければならないだろう。
こうしてみると、ロックやルソーの社会契約論と比較してみたい気も山々であるが、墨子はあくまでも戦国時代になって失われはじめた既存の社会秩序の回復を念頭においているのであって、その限りでは儒家と大きな違いはない。