鼠と大黒

昨日は、いろいろあった心配事のうち半分くらいは片づいたので、ぐっすり眠れたが、ああしまった、年賀状を出していない。
そこで来年の干支の鼠について調べようと、南方熊楠十二支考〈下〉 (岩波文庫)』を探しているのだが、見つからない。かわりに『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学 (河出文庫)』が2冊あることに気づいた。
はあ〜、なんでいつもこうなんだ。
『十二支考』下巻、もう一冊買うべきかどうか、悩んでいるうちに年が明けそうな気がしてきた。
仕方がないので、鼠と言えば大黒様だから、と宮田登江戸のはやり神 (ちくま学芸文庫)』を開いたら「大黒とネズミ」という見出しを見つけたのでそこを読む。

鼠はしばしば災害を予知する霊能を持つという。火事とか地震が近いと、家にいた鼠たちが姿を隠してしまうと思われた。「鼠はこの家の守護なり」(『甲子夜話』巻四四)と述べられる程なのであった。たまたま台所に出没する頻度も高いことから、台所の守護神のつかわしめだと意識されたのである。一方では大黒は北方つまり子の方を司る神だという説がある。枝との思想の普及に応じて大黒は子の神であり、子の日を縁日とすることとなり、同時に、鼠=子から大黒の使令と解されるようになった。(p116-p117)

災害を予知するのではなく、単に逃げ足が早いので、人間が「ウワッ、たいへんだ」とあわてているうちにさっさと逃げ出すだけなんだと思う。我が家にも、この有り難い大黒様のお使いがいる。以前は夜中、台所の裏の板をカリカリとお囓りになっていたが、その音に目を覚まして、なんだろうと立ち上がると、その気配を察して囓るのをピタリとやめる。確かにすぐれた聴覚の持ち主である。
それはともかく、大黒天は仏教とともに伝えられたインドの神様だが、本家のインドでも台所の神として祀られていたのだそうだ。そして「この要素が民間に受容される場合、各家の台所に祀られ、必然的に主婦が司祭することになったのである」という。
我が家の台所の主宰者は主夫たる私であるので、せいぜい鼠ともよろしく付きあわなければならない。