反間

孫子』用間篇より。

必ず敵人の間(かん)の来たりてわれを間(かん)する者を索(もと)め、よりてこれを利し、導(みちび)きてこれを舎(しゃ)す。ゆえに反間(はんかん)は得て用(もち)うべきなり。これによりてこれを知る。ゆえに郷間(きょうかん)・内間(ないかん)、得て使うべきなり。これによりてこれを知る。ゆえに死間(しかん)、誑事(きょうじ)をなして敵に告(つ)げしむべし。これによりてこれを知る。ゆえに生間(せいかん)、期(き)のごとくならしむべし。五間(ごかん)の事(こと)、主(しゅ)必ずこれを知る。これを知るは必ず反間(はんかん)にあり。ゆえに反間(はんかん)は厚(あつ)くせざるベからざるなり。

情報戦というと敵の秘密を探り出すことが主のようであるが、孫子の重視する反間は、情報を意図的に漏洩して期待する効果をあげることであろようだ。
劉邦に仕えた陳平は情報戦に巧みだったようである。
史記』陳丞相世家には彼が反間の計によって、敵・項羽軍の軍師を失脚させたことが記されている。
陳平は稀代の策略家として名を残したが、ただ、本人は内心忸怩たるものがあったようで、陰謀によって多くの人の恨みを買っているだろうと気にしていたようだ。
しかし、司馬遷は「始めよくして終わりよし」と讃している。
司馬遷は、陳平について出処進退において潔癖なところや、旧恩を忘れない人物だったことも描いている。つまり単なる策略家ではなかったということだろう。