「悪法も法なり」

最近、驚いたことがあったのでメモしておく。
ソクラテスが刑死の際に遺した言葉として知られている「悪法も法なり」とは、実はソクラテスが言ったのではないらしいということに気づいて、ビックリ仰天した。
プラトンの対話編には、ソクラテスが「悪法も法なり」と言う場面はないのだそうだ。ギリシア哲学に詳しい方ならとっくの昔にご存知で素人の無知を嘆いておられたのだろうが、無知の知に至らぬ、単に無知な素人としては、虚をつかれた思いだった。
悪法も法なり」は、実はラテン語のことわざ(Latin proverbs)の"Dura lex, sed lex"(英語"The law is harsh, but it is the law." )の翻訳なのだそうだ。 このことわざの例として、ソクラテスの故事が引かれたため、あたかもソクラテスが言ったかのように広まってしまった、というのがだいたいの事情らしい(詳細は不明)。
かの「悪法も法なり」がローマの諺で、ソクラテスは後世になって引き合いに出されただけだとすると、ソクラテスの死のイメージはずいぶん変わってくる。 出所や伝播の詮索は後回しにするとしても、ソクラテスが毒杯をあおいだ理由は単なる順法精神ではなかったことになる。
それにしても(いちおう哲学科卒業の)私自身、長い間ソクラテスの言葉と信じて疑ってこなかったので、実に驚いた。