20万はてなポイントへの挑戦

日曜返上で働いているが、不景気の寒風はなお厳しい。
やはり、toledさんの例の賞金をあてにせざるを得ない。http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128/p1
歴史修正主義一般よりも、ホロコーストの方が賞金金額が高い。二倍である。
デリダは『法の力 (叢書・ウニベルシタス)』の「追記」において、ベンヤミン「暴力批判論」のある箇所に疑問を投げかけながらナチスの「ホロコースト」・「最終解決」に触れている。

ガス室や焼却炉のことを考えるとき、無血的であるがゆえに罪を浄めるというような一つの絶滅化作用をほのめかすこの箇所を、戦慄を覚えることなしに聞くことがどうしてできようか。ホロコーストを、罪を浄める一作用としたり、正義にかなう暴力的な神の怒りの読み解くことのできない一つの署名としたりするような解釈の着想に、われわれは恐怖で震え上がる。(p194)

この文章を読む限り、デリダユダヤ絶滅収容所ガス室や焼却炉の存在、それが一民族の絶滅のために設置されたということを前提にしているように思える。
次にデリダがこうした歴史に対しての、判断の留保を肯定しているかどうか、という点も気になる。

「最終解決」と呼ばれるこの名もない事象から、なお教訓の名に値する何事かを引き出すことができるのかどうか、私にはわからない。

「私にはわからない」、やった!見つけたぞ(ユリイカ!)とぬか喜びしたが、この文はすぐに次のように続いていた。

けれども引き出すことのできる教訓が一つあるとしよう。つまり殺害からは、たとえ単独での殺害からさえも、また歴史上のすべての集団的大虐殺からは、常に唯一無比のさまざまな教訓が出てくる(なぜなら、個人に対する殺害のそれぞれが、また集団に対する殺害のそれぞれが特異なものであり、したがって無限であり、また通約不可能であるからだ)。このようなさまざまな教訓のうちの一つである唯一無比の教訓があるとしよう。われわれが今日引き出すことのできるであろう−−そしてもし引き出すことができるのであれば、ぜひとも引き出すべき−−その教訓とは、次のようなものである。(p194-p195)

最初は「私にはわからない」と言っていたのが、仮定となり(「あるとしよう」)、予想となり(できるであろう)、ついには当為(「べき」)へとエスカレートしていく。「その教訓とは、次のようなものである」。

すなわちそれは、今挙げたようなすべての言説と最大の悪(ここでは「最終解決」)との間に発生しうる共謀関係をわれわれが思考にのせ、認識せねばならないということ、それを自分自身において表象し、形相化し、判断せねばならないということである。(p195)

残念ながら『法の力』には、ホロコースト否定論を肯定するような、あるいは歴史に対して判断を留保することを肯定するような文言は見当たらなかった。それどころか「自分自身において表象し、形相化し、判断せねばならない」と教訓を垂れられてしまう始末である。
デリダは我が社の苦境を救ってはくれぬのであろうか。