『絵葉書』について1

お詫び

まず初めに最近コメントをくださった方々にお詫びを申し上げます。
第一回ツネオ杯http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128/p1に参戦してから、思いもかけず多くの方からコメントをいただきました。
それに対して私はいささか素っ気ない応え方をしていたかもしれません。懸賞金を他の方に取られたらどうしようかと内心不安に思っていたからです。
もし、ご不快に思われた方がおられたら、賞金に目が眩んでのことですので、どうかご容赦くださいますようお願いいたします。
さて、本題です。
これまで読んできた本には条件に該当するものはありませんでした。
いちばん怪しかったのは、takeshiさん、zさんがご指摘になった デリダの生前最後のインタビュー「生きることを学ぶ、終に」です。これについてはHODGEさんが該当箇所を書き出してくださっています。
http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20081202/p1
これを読む限り、また、takeshiさんがtoledさんのコメント欄で論じておられるように、これをもってデリダ歴史修正主義一般を容認しているとはとても思えません。
また、『法の力』、『マルクスの亡霊』、『死を与える』などのいわゆる「倫理-政治的転回」以降のデリダの主著にもホロコースト否定論への容認は見当たりません。もちろん、歴史修正主義一般を容認しているとも思えません。
さらに、学生時代の読書のあやふやな記憶なので見落としはあるかもしれませんが、『声と現象』をはじめとする初期の著作にも見当たりませんでした。
そこで私は昨日の日記で書いたように、いわゆる中期デリダにターゲットを絞ることにしました。
対象とするのは邦訳があって参照が容易な『絵葉書』、『火ここになき灰』、『有限責任会社』の三冊です。
もちろん、デリダの著作はこの他にもたくさんあります。私の選書はあまりにも恣意的でしょう。
けれども、この調査の目的は学問的なものではなく、あくまでも貧乏な自営業者がこの年の瀬を乗り切るために懸賞金を獲得することにあります。遊んで暮らせる金があればこんなことはしません。
仮にデリダの著作をすべて読めば懸賞金獲得が確実だとしても、そのために支払わなければならない労力と時間、書籍購入費用などを考えた場合、それは懸賞金の最高額・30万はてなポイントを上まわってしまうでしょう。そうすれば元も子もありません。
私が仕事の合間にできる範囲のことでなければ、この懸賞に挑戦する意味がないのです。
ですから、学問的関心からこの問題に取り組まれる方は、どうぞ私の取り上げた著作以外のものも精査なさってください。その結果、私が懸賞金を取り損ねても恨んだりはしません。
さて、前置きはこれくらいにして、『絵葉書』です。

妻はデリダだったのだろうか

絵葉書 I -ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方 (叢書言語の政治 14)

絵葉書 I -ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方 (叢書言語の政治 14)

この本は何と言ったらよいものか、書簡体のエッセイ(or小説)という形式で奔放に書きつづっているように見えるけれども、読む人が読めば、その後デリダが展開する複数のキーワードがあらかた登場するので興味深いかもしれない。恋人へあてたラブレターの束のようでもあるので、もし充分な余暇をもてあますような日が来たら、ぼんやりとページをめくりながら、この手紙の背景についてあらぬ妄想にふけったりして楽しむこともできるだろう。もっとも、今は書評をするために読んでいるわけではないのでそんなことはどうでもよい(デリダ宛にハイデガーから間違い電話がかかってきたという噂のネタ元を確認できたことは楽しい経験だったけれど。p37注)。

象徴? ホロコーストの巨大な焼尽、完全焼却炉〔un brule-tout〕、そのなかに、私たちは、私たちのあらゆる記憶とともに、私たちの名を、手紙を、写真を、小さな取るに足りないものを、鍵を、フェティッシュを、等々、投げ入れるだろう。そしてそれから何も残らないとしたら
君はどう思う? 返事を待っている。(p65)

「君はどう思う?」って言われてもねえ。あなたがどう思っていたのかに、20万はてなポイントが賭けられているのですよ。ジャック・デリダからのコレクト・コールを待っているわけにもいかない。

     私を待っていても仕方がない、先にご飯を食べていてください、いつ家に着くかは分からない。(p274-p275)

妻からもこれとそっくりのメールがよく来る。妻はデリダだったのだろうか(「これから帰るからご飯を作っておいてください」の方が多いからやっぱり違うかも)。
「早くこの書物が終わればいいのに」(p289)、同感。

私が作ったもうひとつの、小さな哲学的対話(君が日光浴をしながら読むべきもの)。「−−ねえ、ソクラテス!−−なんだい?−−何でもない。」(p361)

笑った。
ホロコースト」という言葉を、上に引用したほかに、p195とp370に見つけることができた(もちろん見落としはあるかもしれない)。だが、いずれも歴史上の事件としてではなく、もちろんユダヤ系であるデリダにとってそれは深い意味を持っているのだろうけれども、一種の比喩(象徴?)として用いられており、ホロコースト否定論に結び付けられるとは思えなかった。
もちろん、『絵葉書 I─ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方』と題して出版された「贈る言葉」の全体を貫く思想が、ホロコースト否定論、あるいは、歴史修正主義一般にどう関係しているか(または関係していないか)を論証するという課題はありえるが、私にはとてもできない。
(続く)