鍋の論理、あるいは『絵葉書』について2

HODGEさんも参戦されたようなのでうかうかしていられない。http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20081206/p1
『絵葉書 I─ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方』と題して訳出されたのは、原書の前半を占める「贈る言葉」であって、原書には他に三つの文章が収められている。そのうちの一つ、「真理の配達人」の訳文(「真実の配達人」)が掲載されている雑誌(「現代思想」臨時増刊「デリダ読本」)を偶然持っていた。
ところが、この論文についても論じている、けっこう評判のよかった解説書も持っていたはずなのに出てこない。仕方がないので自力で読んでみた。
これは比較的知られた論文だと思うので、思わせぶりは抜きにして単刀直入に言えば、デリダ歴史修正主義ホロコースト否定論や南京大虐殺否定論を容認したり肯定したりしている文章はない。
ただし、読みようによっては、何らかの意味で歴史修正主義に関わるかもしれないくだりはある。
長々とラカン「『ぬすまれた手紙』についてのセミネール」について論評してきたデリダは、精神分析のファロゴサントリズムを指摘して次のように言う。

リビドーには一つしかない、したがってその中における男性的なるものと女性的なるものの差異はなく、ましてや対立などありはしない、それにそもそもそれは本性からして男性的なものなのだ。「かつて解明されたためしのないこの特徴の理由」は実際「垣間見」られる以外はあり得ない−−というのはこの特徴には一つの理由というものはなく、それは理由〔理性、正当性〕そのものであるのだから。フロイト以前にも、存命中にも、それ以来も。理由=理性から引き出された特徴。理由=理性によって、それのために、それのもとで。いわゆる鍋の論理(理性から振り出された手形)の中では、理性には常に理がある〔正しい〕だろう。自ずからそれは自己を聴解する。「物事は自ずから語る。」それは自分が聴解できないことを自分が言うのを聞くのだ。(p98)

このあと、「出会いの場−−王の二重の正方形」という見出しが立てられて、デリダはボー「盗まれた手紙」を自ら読み解いていく。それは次のように始まる。

しかし理性は、それが自分に語る物語=歴史を読むことができない。そしてまた物語がそこに書き込まれるエクリチュールの舞台−−そのような表現以前の−−を読むことも。(p98-p99)

もちろんここで言う理性は、「理由=理性」であるような自己同一的な思考のことであるのは言うまでもない。
ところで、はじめに引用した文に登場する「鍋の論理」という語句は、訳者注によると次のようなものである。

「鍋」の論理とは、と或るユダヤの笑話に出てくるものを指す−−或る男が、人から借りた鍋を穴だらけにして返したかどで訴えられた。彼の弁護人はこれに対し、完璧な弁護を展開すべく、次のような論理をもって対抗した。すなわち、1.鍋は新品同様の状態で返した。2.穴は借りたときにすでにあいていた。3.それに、そもそも鍋を借りたおぼえはない。
フロイトもこの話を自著のどこかで引用しているが、デリダはこの「論理」の幽霊のごときものを哲学史上の高名なテクストの数々においてしばしば見出す、と言っている(上記私信による)。(p113)

「私信」というのは、訳者の一人(おそらく豊崎光一氏)がデリダに問い合わせて受け取った返答のことだろう。
この鍋の論理をあらためてながめてみる。
1.鍋は新品同様の状態で返した。
2.穴は借りたときにすでにあいていた。
3.それに、そもそも鍋を借りたおぼえはない。
これは次のようにならないか。
1.問題を過小に見なす。
2.責任を相手に押しつける。
3.問題となっている事柄を否定する。
こうしてみると、鍋の論理は、歴史修正主義のあるタイプ、否定論によく似てはいないだろうか。

人は氷ばかりつかむ

と、ここまで読んだとき、id:toledさんからはてなポイントは換金できない旨の通知をいただいた。それはあまりにも衝撃的な報せだった。「福音」という言葉の真逆があるとすればこれだろう。
実は、このあと読む予定だった『火ここになき灰』には「ホロコーストは存在しない」とデリダがはっきり書いている箇所を見つけたし(p50、文脈を無視すれば)、『有限責任会社』はフィクションと事実の境界を曖昧にすると悪評の高いものだ。『哲学の余白』のヘーゲル論や『エクリチュールと差異』のレヴィナス論も再考に値する。「INWERPRETATIONS AT WAR カント、ユダヤ人、ドイツ人」の邦訳が掲載されている古雑誌が本棚にあったこともわかった。よっし、これからが本番だ、と意気込んでいた、いたのだけれども、金にならないのではしようがない。
ショックのあまり、もはや本を読む気力もない。
反自由党もしょせんは、給付金ばらまきで支持を集めようとする自民党とかわらないのだろうか。いやいや金に目が眩んだ私が悪いのだ。あとは知的関心からデリダに取り組まれる人のご健闘をお祈りして、地道な仕事にもどるとしよう。
私は、第一回ツネオ杯から勇気ある撤退をいたします(反自由党が政権を取ったら国務長官に指名してくれてもよくってよ)。

こちらは金目当てではありません

ところで、先日ご案内した読書会、今も参加者募集中です。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20081123/1227412787