カントのアンチノミー2なんで四っちゅなんだ?

カントのアンチノミーは四つある。これは読まなくても知っている。学生時代、試験に出るので丸暗記したからである。さすがに中身は覚えていないが、四つあることは憶えている。
この試験を課したのは中島義道先生ではない。私が教わった先生のほとんどは優しい方だったが、中に新兵をしごく鬼軍曹の役回りを引き受けておられた先生が二人いた。ドイツ哲学のH先生とフランス哲学のS先生であった(恩師の悪口になるといけないのであえて名は伏す)。動のH先生、静のS先生と性格は好対照のお二人だったが、厳しさは甲乙つけがたく、倫社に毛が生えた程度の知識を振り回して哲学を語ろうとする生意気なバカ学生にガツンと一発喰らわし(H先生)、キリキリと締め上げる(S先生)ので学生に恐れられていた。特に豪傑肌のH先生は予習してこないと分厚いドイツ語の辞書で殴られるとか、いろいろな伝説の持ち主だったが、実は情に厚く、学生思いの教師だったことは卒業後に知った。
それはともかく、先輩方の言うには、H先生の近代哲学史の試験の山は、カントからはアンチノミー、四つのうちどれかは出るから丸暗記しておけ、と。それで、アンチノミーは四つと憶えているのである。
だから、頭のいい人なら、アンチノミーについては四回で読み終わってしまうようなものだろうけれども、私は馬鹿なのでそういう芸当はできない。
それどころか、とんでもないところで引っかかった。
カントのアンチノミーは四つある。それはいいのだが、なぜ四つあるのか、ということが気になり始めた。なんで四っちゅなんだ?
なぜ四つなのか、その説明はあるのだが、読んでもわかったような気がしない。
「ところで、これらの諸理念を一つの原理にしたがって体系的な精確さで数えあげうるためには」とある以上、アンチノミーが四つ挙げられているのはいきあたりばったりに挙げたのではなくて理由のあることであるはずなのだが、その理由の説明がわからない。
これからが本題なのだけれども、今日はこれから一仕事あるので、どうわからないかはまたいずれ。