今夜、池袋で

昨夕、今朝の新聞はどれも失業率が最悪の5.7%に達したと報じていた。
関連して、時事通信のニュース「1〜7月の自殺1万9859人=すべての月で昨年上回る−警察庁http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/jiji-28X766/1.htmによると、自殺者は「12年連続で3万人を超え、過去最悪だった2003年の3万4427人に迫るペースが続いている」ということらしい。
インフルエンザの流行も始まったようだ。私も朝からどうも熱がある。
このところ地震もたてつづけに起こった。
おまけに週明けには台風も来るらしい。踏んだり蹴ったりである。
そして、明日、投票日を迎える総選挙は民主党が優勢を維持しており、政権交替がなされる可能性が高いという。
こうやって並べると、なんだか天変地異が起きているような印象があるから不思議だ。インフルエンザの流行ですら「流行」という現象は単なる自然現象ではなく社会的な要因があるはずのものなのだが、なにかこう台風や地震のように、なすすべのない流れのように感じられてしまう。
そんななかで、麻生首相は「残り2%でひっくり返る」と強気で奮戦しているようだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090828-00000202-jij-pol

 麻生太郎首相が28日夜、遊説先から戻る途中の石川県小松空港で、民主党が圧勝の勢いとされる衆院選情勢に関し、同党と自民党の差はわずかに「2%」程度にすぎず、逆転可能だと檄(げき)を飛ばす場面があった。
 これは自民党森喜朗元首相の後援会関係者に語ったもので、首相は4年前の「郵政選挙」に触れ、「自民党が圧勝したと言われたが(自民党と)民主党の総得票を計算すると51対49だった」と指摘した。 

麻生氏は、今でこそ小泉改革に距離を置いているが、かつては、義務教育期間を短くして浮いた予算をエリート養成につぎ込む方が効率的だという趣旨の発言をしたことがあった。この点で私は麻生氏を支持しない。しかし、彼の今の気持ちはよくわかる。
三代(清和会の支援を受けた麻生氏も含めると四代)続いた清和会政権下で、さまざまな無理が通って道理が引っ込んだが、その流れに抗う声をあげた人々もまた同じ思いをしてきた。私個人の経験でいえば、教育基本法改正案が衆院を通過した後、それでもなお国会前に集まって抗議の声をあげた人たちは激しい焦燥感の中で闘い続けた。
大袈裟な例を引くまでもない。我が社もここ数年の未曾有の不景気にさらされて、今期も赤字は確実である。それでも奮戦することをやめてしまえば倒産する。負けるとわかっていても、闘い抜くことで次につなげる細い道を残しておく。そういう闘いもある。
麻生氏の最後の闘いや如何に、と思って、妻と二人で今夜、池袋に出かけた。
あちこちで悲鳴が上がるほどの群衆のなか、小池百合子氏と麻生首相の演説を聞いた。
小池氏はまったく八木レポート(http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50900212.html)路線でナショナリズムを煽り、地に足のつかない文明論を叫んでいた。
登壇するや「アソウ」コールに迎えられた麻生首相は連日の選挙活動の疲れが出たのか声はしわがれていてよく聞き取れなかったが、清和会政権時代の失政に対するお詫びと反省を述べながら、健全な保守路線への回帰を表明しているように聞こえた。前方に固まった熱心な支持者と思しき一団から拍手や歓声があがっていたが、それが拡がるような気配はなかった。
私たちの前に陣取っていた高齢のご婦人たちが、ペンライトや日の丸の小旗を振りまわすのがうるさくて、雑踏をかき分けて西口に向かった。
やっとの思いで芸術劇場前公園にたどり着くと、ちょうど今や、政権交代目前の鳩山由紀夫氏の演説が始まったところだった。いささか敬語が過剰な気もしたが、しっかりした張りのある声で政権交代の意義と展望を語っていた。
聴衆の数は倍以上か、ただし、旗やペンライトを持った人は目につかなかった。そのかわり、反応は格段にいい。拍手とかけ声(「がんばれ」「頼んだぞ」)が方々から飛び出す。
勝負あったな、と感じた。
しかし、問題は来月からである。かたやエキセントリックなニューライト路線を叫ぶ小池氏と健全な保守路線を語る麻生氏(そういえば彼は元・宏池会だった)の自民党、一方は社民主義的政策を掲げるが中道リベラルを中心に極右まで抱える民主党と、さて、どんな政治になっていくのやら。
今夜はまだ結論を出すには早いだろう。
写真は鳩山氏。手ぶれピンボケご容赦。