子ども手当

先日、ある論者による民主党マニフェストの教育政策評価について苦情を言った。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20090823/1251000136
私には首をかしげるところのあったものだったが、これを評価する向きもあるようなので、もう一つ指摘しておく。
この論者は、「子ども手当」を「子育て・教育の「構造改革市場原理主義」からの転換」として高く評価している。

 今回の民主党マニフェストの目玉といえる、子ども一人当たり月2万6000円(年額31万2000円)の「子ども手当」は、教育政策というよりも「子育て支援」の性格が強いものであるが、広い意味での教育への公的助成と見ることが可能である。ここに約5・3兆円という現在の防衛費以上の予算を投入することが提案されたことは、民主党が「子育て・教育」への予算増額を今回のマニフェストの大きな柱としたことを明示している。

 月2万6000円という額の適切性については、他の教育予算との兼ね合いで、さらなる検討が必要であろう。しかし、子育て・教育への私費負担が多くの家計に重くのしかかり、そのことによって少子化が進み、出身階層による子育てや教育格差の再生産が深刻化している悲惨な現状に対して、「子ども手当」という政策を提案したことは高く評価することが出来る。

「子育て・教育への私費負担が多くの家計に重くのしかかり、そのことによって少子化が進み、出身階層による子育てや教育格差の再生産が深刻化している」という現状認識にはおおむね同感である。ただし「貧乏人の子沢山」とも言うくらいだから、少子化には経済的理由以外の別の理由もあるだろう。
ともあれ、家計に重くのしかかる子育て・教育への私費負担を減らすような施策がなされるべきだというのには同意する。ただし、その方法として「子ども一人当たり月2万6000円(年額31万2000円)の「子ども手当」」が妥当かどうかは疑問である。論者は「月2万6000円という額の適切性」を問題にしているが、頭数にあわせて金を配るという発想は現・麻生内閣のやったことと同じではないか。
また、その効果も疑わしい。食べるのに精一杯の世帯では月2万6000円は焼け石に水だろう。逆に高額所得者にとってはお小遣いの範囲だろう。同じ金額でも受けとる側のニーズによって使われ方はまちまちになるだろう。
この論者は「高校教育の実質無償化」については次のように言っている。

 教育政策の具体的な中身をさらに見ていこう。マニフェストで「高校は実質無償化」が挙げられている。具体的には公立高校生のいる世帯に対し、授業料相当額を助成する。そして私立高校生のいる世帯に対し、年額12万円(低所得世帯は24万円)の助成を行うことになっている。教育の機会均等、家庭の教育費負担の軽減をもたらすこの提案についても、基本的に評価することが出来る。
 ただしいくつかの点でさらなる改善が可能であろう。一つは「実質無償化」よりも「公立高校授業料」無償化の方が望ましいということである。「公立高校生のいる世帯に対し、授業料相当額を助成」と書かれているが、これが全国一律の額と設定された場合、現在は都道府県によって公立高校の授業料に格差が生じているので、一律無償化にはならない。これでは、無償化できる都道府県とそうでない都道府県との格差が生じることになる。都道府県ごとに支給額を変えるという手もあるが、それよりは全国の公立高校の授業料自体を無料にする方がベターである。
 内容からいっても「授業料相当額」を給付するのでは、それが実際には高校の授業料には使われずに他の目的のために使用され、形骸化するおそれがある。各家庭に給付するよりも学校機関に対して給付する。つまり公立高校授業料の無償化こそが望ましいだろう。

つまり、給付金方式では、それが必ず学習機会の保障に使われるかどうかはわからない、ということだ。それなら「子ども手当」だって同じことだ。月2万6000円が必ず育児のために使われるかどうかは保証の限りではない。それよりも、この論者の立場からすれば、公立高校授業料の無償化と同様の発想に立って、義務教育段階の公立学校での教材費や遠足・修学旅行などの費用、給食費などを無償化するとか、保育所や幼稚園を増やすとか、そういうことに使った方が学習機会の平等を保障する上では効果的ではないかと提案すべきではなかったか。
この論者の主張には一貫性が欠けている。とりあえず呑める点は肯定的に評価しておいて注文は後から小出しにする、という論法を取っているように見える。
政治の現場では、こういう妥協や駆け引きはあってよい。しかし、第三者の、とりわけ学問的な見地から批評する場合は、評価基準の定まらない批評には恣意的な主張がまぎれ込みやすいので控えるべきである。
子ども手当」は給付金方式でよくて、高校については「各家庭に給付するよりも学校機関に対して給付する。つまり公立高校授業料の無償化こそが望ましい」と言うのは矛盾ではないか。教育研究者であるはずの論者が何故こんな一貫性のない主張をするのか、まことに理解に苦しむ。