韓非子の「矛盾」5難勢編4

いよいよ「矛盾」の逸話が出てくるところにさしかかっているが、どうもわからないところが多い。

復應之曰:其人以勢為足恃以治官。客曰“必待賢乃治”,則不然矣。夫勢者,名一而變無數者也。勢必於自然,則無為言於勢矣。吾所為言勢者,言人之所設也。今日堯、舜得勢而治,桀、紂得勢而亂,吾非以堯、桀為不然也。雖然,非一人之所得設也。夫堯、舜生而在上位,雖有十桀、紂不能亂者,則勢治也;桀、紂亦生而在上位,雖有十堯、舜而亦不能治者,則勢亂也。故曰:“勢治者,則不可亂;而勢亂者,則不可治也。”此自然之勢也,非人之所得設也。若吾所言,謂人之所得勢也而已矣,賢何事焉?

http://chinese.dsturgeon.net/text.pl?node=2592&if=gb
毎度のことながら、私は語学が苦手で原文で読んでいるのではなく、岩波文庫などの読み下しと訳文を頼りに読んでいる。中文を掲げたのは面倒な漢字を拾うためであって、それ以外の理由はない。
さて、尚賢論者からの勢批判に対して韓非子は、賢者に期待するのは間違いだと言う。
いかに「勢」が頼みになろうとも、それを用いる者が愚昧であれば猫に小判、豚に真珠というものだろうし、ましてや悪人であれば、ナントカに刃物である。賢者を登用せよというのは正論ではないかと思う。今週休載の漫画でも「馬鹿の下で働くことほど馬鹿なことはないぞ、バカがうつるし」とか言っていたではないか。
これに対して韓非子の言い分はちょっとわかりにくい。
まず、「勢」と一口に言っても、いろいろあるのだ(夫勢者,名一而變無數者也)という。「勢」が必ず自然のものであれば(勢必於自然)、何も言うことはない(あなたの言うとおりだろう)。しかし、私が(慎子から継承して)言う「勢」とは、人間が作り出したもののことを言う(言人之所設也)。
まず、ここで、自然(必然)の「勢」と人為の「勢」が区別される。
堯や舜が統治者であれば、桀や紂が十人いても世を乱すことはできないし、桀紂が権勢を握っておれば堯舜が十人いても世は治まらないだろう。
「故曰:“勢治者,則不可亂;而勢亂者,則不可治也。」これはどうとればいいのかなあ。
故に曰く、勢によって治める者は乱すことができず、勢によって乱す者は治めることができない。
このような勢とは自然の勢のことであって、人間が作り出したものではない。私の主張しているのは、人為の勢だ(あなたの主張とは想定が異なる)。だから、賢智など問題にならない。
おおよそ、以上のような議論の流れで、この直後に有名な「矛盾」の逸話が持ち出されるのだが、この議論が尚賢論者の批判に対する反論になっているのかどうか、ちょっと腑に落ちないのである。
忙しいので続きはまた少し考えてから。