韓非子の「矛盾」6難勢編5

韓非子の言い分は、統治に有用な「勢」とは、人為の「勢」であって、歴史の趨勢のような自然(必然)の「勢」ではない、というものだった。
さて、いよいよ有名な矛盾の説の逸話が出てくる。

人有鬻矛與楯者,譽其楯之堅,物莫能陷也,俄而又譽其矛曰:‘吾矛之利,物無不陷也。’人應之曰:‘以子之矛陷子之楯何如?’其人弗能應也。”以為不可陷之楯,與無不陷之矛,為名不可兩立也。夫賢之為勢不可禁,而勢之為道也無不禁,以不可禁之勢,此矛楯之說也;夫賢勢之不相容亦明矣。

くどいようだが、中文テキストを引いたのは漢字変換の煩を避けるためだけで、私自身は岩波文庫の読み下しと現代語訳で読んでいる。

韓非子〈第4冊〉 (岩波文庫)

韓非子〈第4冊〉 (岩波文庫)

ところでその岩波文庫だが、訳注者の金谷治氏はここに引いた文章の「勢」を「権勢」と訳しておられる。

ここに矛と盾を売る者がいて、その盾の堅いことを自慢して『どんなものでも突き通せないぞ』と言ったが、すぐにまた矛を取り出して『わしの矛の鋭いことときたら、どんなものでも突き抜いてしまうぞ』とほめあげた。まわりにいた一人がちょっかいを出して、『お前さんの矛でお前さんの盾を突いたら、どうなるかな』。商人はそれに答えることができなかった。思うに、突き通すことのできない盾と、何でも突き通す矛とは、名目の上で両立することはできない。そもそも、賢人のあり方というものはその才能を外から禁圧することはできないが、権勢のあり方というものはすべてを禁圧せずにはおかない。禁圧することのできない賢人を、すべてを禁圧する権勢と並べようとするのは、これは矛と盾との説と同じである。そもそも、賢人と権勢とが共存できないということは、これで明らかだろう。(p19-p20)

原文は「勢」の一字であり、「勢」と言ってもいろいろな含意があることは、韓非子自身が言明していることなので、ここでの「勢」とは何か、ということが問題になる。
文脈からそれは、自然の勢、すなわち宿命にも似た歴史の趨勢のことだろうと思われる。そうであるならば「権勢」という訳語は、人為の勢の方を連想させるので適訳とは言い難い。
尚賢論者の慎到批判を読み返してみると、大きく二つに分かれており、前半は慎子の「飛龍乘雲、騰蛇遊霧」という比喩を引きながら尭舜・桀紂の故事に触れ、後半は「勢」を車に喩えて御者が優秀でないといけないと説く。後半の車と御者の喩えについて韓非子は「矛盾の説」の後、別の例を挙げて反論しているので、「矛盾の説」は前半についての反論であろう。
桀紂が勢を得てしまえば、尭舜がいかに賢者といえども立ち向かうすべはない。勢は賢智を屈するに足る。その勢は尭舜が天下を治めた勢と同じである(且其人以堯之勢以治天下也,其勢何以異桀之勢也)。これは尚賢論者も認めるところである。
このような勢は自然の勢であって、人の設ける所ではない。それなのに、尚賢論者は、徳のある賢者ならそれを道具のように使い得ると言う。
しかし、それでは愚昧な者が勢を得てしまえば賢者といえども立ち向かうすべはない、という現実認識と一致しない。
勢を自然(必然)の勢とする勢理解と、徳の高い指導者に善政を期待する政治観とは、両立しない命題ではないか、というのが、韓非子の反論である。
だからこそ、人間にコントロール可能なシステムを作っていかなければいかんと言っているのに、千年に一度出るか出ないかのような暴君を恐れてそれを放棄し、千年に一度出るか出ないかのような明君を期待するとは馬鹿らしいことではないか、それよりはそこそこの人間がそこそこの政治を行えるようなシステムを作り上げた方がマシである、というのが韓非子の主張なのだが、それはまた別の話。
一昔前、というか、私の若い頃、学生同士で、人間が歴史環境を作るのか、それとも歴史環境が人間を作るのか、という議論に口角泡を飛ばしてわめきあったこともあったが、韓非子の言う矛盾の説は、そういう議論にはよく当てはまる。これがカントのアンチノミーヘーゲルの矛盾概念と一致するかどうかは、カントやヘーゲルを読んでみないとわからないが、明治の日本人だか、清末の中国人だかはわからないが、私たちの大先輩の誰か、漢籍に通じヨーロッパの学術を学んだ誰かが、contradiction,Kontradiktionという語を訳すときに、こりゃ『韓非子』に出てくる「矛盾之説」にそっくりだ、と思って「矛盾」の語を当てたのだろうから、その判断は尊重されるべきなのかな、と今は感じている。