カントのアンチノミー5 十二÷三=四

カント『純粋理性批判中 (平凡社ライブラリー)アンチノミーの導入部分で何が分からないかというと、つまるところ、カントはアンチノミーを理性のカテゴリーに即して列挙するとしながら、カテゴリーは十二あったはずなのに、アンチノミーは四つしかない。その説明が分からない。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20100826/1282816607#seemore
カントの説明は以下の通り。

それゆえ第一には、超越論的理念は、もともと無条件的なものにまで拡張されたカテゴリー以外の何ものでもなく、だから超越論的理念は、カテゴリーの項目にしたがって配列される一つの表のなかへもたらされうるということになる。しかし第二には、それにもかかわらずすべてのカテゴリーが、そのために役立つというわけではなく、総合がそこでは一つの系列をなすような、しかも或る条件づけられたものに対する互いに従属な(並列的でない)諸条件の系列をなすような、そのようなカテゴリーだけがそのために役立つ。(p197)

カテゴリーの項目通りなら十二個になるんだけれど、十二個全部はやりませんよ、と言っているのはわかるのだが、その理由の説明がよくわからない。
続きはこうなっている。

絶対的総体性が理性によって要求されるのは、その絶対的総体性が或る与えられた条件づけられたものに対する諸条件の上昇的系列にかかわるかぎりにおいてのみであり、したがって、諸帰結の下降線が問題であるときでもなければ、また、これらの諸帰結に対する同位的な諸条件の集合が問題であるときでもない。

この後も何だかわからない話が続くのだが、まるでわからない。
だが、わからないなりにしばらく眺めていたら、なんとなくわかってきた。
カントのカテゴリーは十二個といっても、ただ十二個列挙されているのではなくて、量、質、関係、様態の大きく四つに分けられていた。量、質、関係、様態のそれぞれがさらに三分されて、四×三は十二で十二のカテゴリーになるのだった。おそらく、量、質、関係、様態のそれぞれに属する各三つのカテゴリーの項目も、それぞれに役割があるのだろう。
引いた文章から察せられるのは、「諸条件の上昇的系列にかかわる」もの、「諸帰結の下降線が問題である」もの、「諸帰結に対する同位的な諸条件の集合」の、三種類の性格付けがあるのではないか。そして、アンチノミーにかかわるのは、このうち「諸条件の上昇的系列にかかわる」ものだけなので、四つの分類に属する各三項目のうち、二項目は不要で一項目だけあればよい。だから、十二÷三=四で、アンチノミーは四つ、と、こういうわけではないかと思うのだがどうだろうか。
とりあえずこう考えてみたけれども、あまり自信がないうえに、そうだとしてそれにはどういう意味があるのか?と尋ねられればたちまち答えに窮してしまう。
アンチノミーの本体にとりかかる前に何カ月もかかっているようではいけない。そもそも、本題はドストエフスキー『悪霊』であり、その参考にカントをおさらいしているだけなのだから、早く本題に戻れるようにしないといけない。
こうまで手を焼くとは思っていなかったので、いきなり『純理』を開いてしまったが、もうへとへと、降参だ。白旗を揚げて書店に行き、適当な参考書を探してくることにする。