哲学の始まり−−アリストテレス『形而上学』より(写経)

形而上学』第二章より、有名な箇所を確認した。

ところで、この知恵は制作的ではない。このことは、かつて最初に知恵を愛求した人々のことからみても明らかである。けだし、驚異することによって人間は、今日でもそうであるがあの最初の場合にもあのように、知恵を愛求し〔哲学し〕始めたのである。ただしその初めには、ごく身近の不思議な事柄に驚異の念をいだき、それからしだいに少しずつ進んで遙かに大きな事象についても疑念をいだくようになったのである。(『形而上学』出隆訳、岩波文庫、p28)

アリストテレスが「あの最初の場合にもあのように」と言っているのは、自然哲学を念頭においているのだろうが、このあと面白いことを言っている。

ところで、このように疑念をいだき驚異を感じる者は自分を無知な者だと考える。それゆえに、神話を愛好する者もまた或る意味では知恵の愛求者〔哲学者〕である。というのは、神話が驚異さるべき不思議なことどもからなっているからである。(同上)

アリストテレスはこのあと第四章で、最初の哲学者たちの一人としてヘシオドスを挙げてその『神統記』を引いている。一般に出回っている哲学史の教科書でこの系譜に注意しているものを読んだことがないのだが、宗教や歴史にかかわる哲学の始まりを、このフィロミトスのうちに置いてみたら面白いだろうなと妄想したりする。