カラマーゾフの妹・続

賛否のかまびすしい高野史緒カラマーゾフの妹』をあえて未完結作品とみなして、その続編をホラー仕立てで書く、というわけではない。読後の第一印象でパパッと書きつけたものに星をいただいたので、あわてて書き足すのである。
某所でいろいろな人のレビューを見て、意外にもドストエフスキーファンからぼろくそに言われていることに気づいた。どうやら、『カラマーゾフの兄弟』を思想小説、あるいは宗教小説として読みこんだ方には評判が悪いらしい。
それはその通りである。
ドストエフスキーファンなら誰しも、自分のイワン、自分のアリョーシャがあると思う。ところが、『妹』のイワンは、抜き差しならないニヒリズムの問いを先鋭に打ち出した若き日の自分を、ちょっと気恥ずかしい青春の一コマくらいに感じている中年である。その点では『兄弟』のイワンとは別人のように感じるだろう。『兄弟』では、若くしてすでに宗教的な聖者の雰囲気を漂わせていたアリョーシャにいたっては、脚フェチの小学校教師である。生徒に手を出していないかどうか危ぶまれるところだ。ファンのお怒りはごもっともである。
そして、この二人が激突する「大審問官」の章こそ『兄弟』の白眉であって、イワンの熱弁とアリョーシャのキスによって提起された重大な問題を置き去りにして、フョードル殺しの犯人探しに終始する『妹』にカラマーゾフを名乗る資格はない、というのが辛口の批評家諸氏のご意見だろう。
それもその通りである。
しかし、『カラマーゾフの兄弟』には犯罪小説としての側面があるのも事実である(推理小説とは言えないと思うが)。『罪と罰』も『悪霊』もそうだ。ドストエフスキーの犯罪事件に対する熱の入れようは並大抵のものではなく、単に設定を借りてきただけとするわけにはいかないだろう。高野の『妹』は、『兄弟』を未完の犯罪小説と見なして(宗教的・思想的テーマは切り捨てて)、その解決編を小説として構想した。推理小説としてはどうだかわからないが、物語の一つの解決編としては成功している、と私は感じた。もちろん、高野はそれをするために、新たな登場人物や、サイコ・ホラーやSFで使われる道具立てを持ち込むなどの工夫をしていて、それが反則かどうかは意見の分かれるところだろうが。
さて、以上のように高野『妹』を弁護してきたが、一方で、これは自分のカラマーゾフと違うと感じる人の気持ちもわかる。ただ、それは当り前のことだと言いたいのだ。『妹』は高野史緒カラマーゾフなのである。試みに『妹』批判者が集まって、真のカラマーゾフの続編予想を語り合ってみるがいい。おそらく原作について、細部の解釈はもとより、テーマの受け取り方、主要登場人物の性格についても意見が分かれて、とうてい続編の予想にまではこぎつけないだろう。つかみあいになるといけないのでお薦めしないが。
寓話の魅力というものがある。『兄弟』の作中でイワンが語る「大審問官」の物語がそうだし、『兄弟』を人間の本質を暗示した作品として読もうとする読者にとっては物語全体が長大な寓話である。物語の中に人間や歴史や世界の象徴を読みとろうとする読み手によってさまざまな読まれ方をする。そうした読み方を受け入れる、あるいは誘惑する物語が寓話であり、こう読みたいという願いを受け入れ、それに形を与える寓話が必要とされ続けているのは、そうした願いが、読書という行為の中にもともと潜んでいるからではないかと思う。
解釈ですらいろいろなのだから、続編の予想ともなればなおさらである。犯罪小説としての側面ひとつとっても高野『妹』以外の読みこみ方も複数あるはずだろうし、思想や宗教に焦点を合わせれば、あるいはカテリーナやリーザをヒロインにしたら、さらにバリエーションは拡がるだろう。いったん読んで、物語の世界に浸ってしまった以上、たとえどんなに原作から逸脱しても、その一つ一つが、カラマーゾフの直系とまでは言えなくても、少なくとも甥や姪やいとこであり、せめてスメルジャコフの隠し子くらいではあるはずなのだ。ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』という小説はそういう作品である。
ましてや、兄弟の子どもたち、すなわち「カラマーゾフの孫たち」の世代はロシア革命に直面する。物語がどう展開するかはわからない。例えば、革命前夜のモスクワで、精神を病んだ父を介護しながらつましく暮らすイワンの娘の元に、恩赦を受けた伯父ドミートリ―がシベリヤから帰ってくるところから話を始めたらどうか。やがて革命がはじまり、帝政下における反逆者の親族として、いったんは優遇されたカラマーゾフ家の孫たちだが、共産党政権が確立されるにつれて地主階級出身者ということから陽のあたる道を閉ざされ、ある者は国外に脱出し、ある者は身元を隠して党に忠誠を誓い、というようにそれぞれの道が分かれていく。激動の歴史に翻弄されながら、老いた父と伯父を抱えたイワンの娘はどのような生き方を選択するのか…。呆けはじめたドミートリ―と狂気のイワン、二人の老人の頓珍漢な会話を狂言回しにして物語ればさぞや面白かろう、と妄想は果てしなく広がるのである。
だんだん話が危なくなってきたので、このあたりにしておく。

カラマーゾフの妹

上の記事の前提となる10月6日付けの『カラマーゾフの妹』紹介記事は、別のところに出した文章と一部重複してしまったので削除しました。
ブックマークしてくださった方には申し訳ありません。
原作を犯罪小説と見立てることによって、続編の一つのあり方を現実にした高野史緒氏の着想と手腕への評価や、小説として面白く読んだなどの私の意見がかわったわけではありません。