「四谷怪談」を読む(十九)生霊談義

『四ッ谷雑談集』伊右衛門再婚の後日談である。

今井仁右衛門物語之事

伊右衛門とお花の婚礼の翌日。婚礼の宴に押しかけた三人組が、前夜の話題に花を咲かせている。三人のうち今井仁右衛門が、宴に闖入して来た赤蛇を、伊右衛門先妻お岩の執念と考えたのはなぜかということを説明する。
具体的には、京都一条戻り橋のあたりで起きたこととして、京極家の浪人が人妻と二年にわたって不倫関係を続け、その女の夫が死ぬや、それまでの自分の妻を離縁して後家さんと夫婦になったが、前妻の生霊の祟りから滅んでいくという話を語って、伊右衛門も似たようなものだから、将来が危ぶまれるというような話をする。
この話でも、再婚の翌年、妊娠した後妻が赤蛇を産んだとか、再婚から三年目に後妻の連れ子の口に赤蛇が入る夢を夫婦そろって見ると、連れ子は気が狂って井戸に身を投げたとか、嫉妬心の化身としての赤蛇が活躍する。
そこで、先妻はさぞや嫉妬に悶々としているだろうと思いきや、「其時は腹も立けれ共、今は久敷事なれば一ヶ年に一度も思ひ出す事なし、増て恨心は露程もなし」と案外けろっとしている。
本人に全然その気がないにもかかわらず、先妻の嫉妬心が怪異の原因とされるのは、陰陽師が「是は前妻の執心残、恨をなす故也」と占ったからである。占うも何も、先妻は離縁された時に「齒をならし血の涙を流し」ながら、「見よ汝等一人も安穏にては置くまじ、七代迄可祟る。我角云ふ、実か偽か、近所の人々此事能聞置給へ」と、近所の人たちに言い残したというから、陰陽師の御託宣は、みんなが内心で思っていた通念を口に出したに過ぎない。
本人にしてみれば、あのときはカッとなってすごいこと言っちゃったけれど、今はなんとも思っていない、というわけだ。結局、先妻の嫉妬の念による祟りというのは、本人以外の誰かが、それが怪異の原因だと見なすことによって成立する。うろ覚えだが、確か『源氏物語』の六条御息所のケースも、本人には覚えがなかったように描かれていたと思う。
ついでだが、先妻のセリフに「七代迄可祟る。我角云ふ、実か偽か」云々とある(「角」は「斯」の当て字)が、漢文読み下しを崩したような、変な語順である。『雑談』の文章にはこういうものが多くて目を白黒させられた。書き言葉だからこういう語順になったのか、それとも当時の話言葉もこんなものだったのかはわからないが、現代とは文法が少し違う。

女生き霊、夫に怨を作す事

今井仁右衛門が語った話には、『実録四谷怪談―現代語訳『四ッ谷雑談集』 江戸怪談を読む』の注(p61)で示したように『片仮名本・因果物語』所収の「女生き霊、夫に怨を作す事」という類話がある。生霊だから、離縁された妻は生きている。そこで祟られた男が先妻に詫びを入れると、元妻は、自分は今は幸せなので恨んでいない、と返事をするのだが、その後も祟りは続くという話である。
『四ッ谷雑談集』の伊右衛門再婚の場面も、その時点ではお岩は自分がだまされたことを知らないのだから、ふつうに考えたら生霊だろうが死霊だろうが祟るいわれがない。この当たり前の疑問に対して、今井は、本人が自覚していなくても生霊となって祟ることがありえるという話をしたわけだ。
どうも変な気がしないでもないが、生霊とはそういうものだという理解があったのかもしれない。仕事場に資料を置いてきてしまったので類話を挙げることができないのだが、近世の怪談に登場する生霊には、本人が夢うつつのうちに魂魄が肉体を離れてさまようというような話は確かにいくつかある。近代以降なら、無意識とか夢遊病とか、精神医学的レトリックで語られるようなケースである。近代以前でも「離魂の病」といって、一種の病気であるように語られる場合もある。
ともあれ、『四ッ谷雑談集』におけるお岩の怨念の発現は、死霊ではなく生霊という形式で描かれている。お岩は生きているのである。

京極家改易

今井仁右衛門は上の因縁話を語る際に、これは「先年我等京都に居たりし時」のことだと、つまり昨年自分が京都で見聞したことだとして語り出す。そして、物語の登場人物たちは京極家の浪人という設定である。
京極家改易は寛文六年(1666)である。物語の中の時間の経過は、不倫が二年、再婚の翌年に後妻が赤蛇出産、三年目に連れ子が狂死し、先妻に詫びを入れるがその後も怪しいことが続いたので伊勢へ逃げて、その年の夏、後妻が難病を苦に絶食死、同年中に男も盗賊と間違われて不慮の死を遂げた、ということなので、ざっと見積もって五年か六年経っている。
そうすると、今井仁右衛門が去年京都で聞いたこととしてこの話を語っている時点、すなわち伊右衛門再婚の宴の翌日とは、寛文十二年(1672)か延宝初年(1673)ということになる。この年代設定は前の章で、婚礼の宴で彼らが流行の話題として語った事柄の時期と一致する。
何が言いたいかというと、『四ッ谷雑談集』のうち、赤蛇の出現という最初の怪異が語られる二つの章、「田宮伊右衛門婚礼之事 付先妻之執心蛇と成来る事」と「今井仁右衛門物語之事 付高野喜八か沙汰之事」とは、寛文の終わりから延宝の初めという作中の時代設定が一致しており、この範囲では大きな矛盾がないということである。もう一つ付け加えると、「田宮伊右衛門婚礼之事」と「今井仁右衛門物語之事」は、いずれも今井仁右衛門を実質上の語り手としており、この二つの章には連続性がある。
これは『四ッ谷雑談集』が「お岩物語」でも「四谷怪談」でもなく、『雑談集』と名づけられていることにかかわっているように思う。今井仁右衛門が実在した人物かどうかはわからないが、『四ッ谷雑談集』には匿名の書き手の他に、書き手に情報を提供した複数の語り手がいると想定される。匿名の書き手は、語り手たちからそれぞれ内容の少しずつ違う話を聞きとって、それをおおよその時系列順に並べたのではないか。今は、比較的まとまりのよい上巻について述べているのに、すでに章ごとに時代設定の齟齬が生じているが、中巻、下巻になると、これは元の「お岩伝説」とは別系統の逸話を挿入したのだろうとしか思えない話題も出てくる。
それはともかく、次回はいよいよ上巻のクライマックスである。