ネグリの講演会

このところ忙しくしていて、ブログを書く気分にならない。忙しいのも景気のよい忙しさなら調子に乗って何か書き飛ばす気にもなるが、斜陽産業の片隅で生き残りをはかる身の上なので、今朝も近所の関連業者が仕事場をたたんでいたのを知って気が重くなった。
そんな中、先週の金曜日に、妻が「たまには勉強してきなさい」と、アントニオ・ネグリの講演会に行かせてくれた。
こういうイベントでもないとブログを書く気力も湧かない、せっかくなのでネタにする。もっとも講演の内容は、直近に翻訳が出た『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言 (NHKブックス)』とかぶるし、ユーチューブだかなにかでも放映されたそうなので端折る。
個人的に印象に残ったことだけメモする。
会場は財閥のお庭に建てられたホールで、六本木の高層ビルを見上げる立地。ここでネグリの話を聞くというのもなんだか皮肉に感じた。
冒頭、主催者側の代表である元国連高官氏の挨拶の中で、ネグリ/ハートの『“帝国”―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』が出版されたとき、霞ヶ関の官僚たちが争って読んでいたという話があった。邦訳なら二〇〇三年だから、イラク戦争の頃だ。六本木の高層ビルもその頃できたんじゃなかったっけ。
ネグリ氏の講演は、時折オヤジギャグをはさみながらエネルギッシュに語られた。エネルギッシュではあるがアジテーションという印象は受けなかった。世界の動向を「地政学」という言葉をたぶんあえて使いながら、この運動のこういう側面にオルタナティブな希望がある、この運動とあの運動のこういう側面に通じ合う可能性がある、というような指摘をしていく。大きな見取り図を描いてみせることで、判断は聴衆にゆだねるというスタイル。
ケインズ福祉国家モデルの破綻は不可逆的で、国民国家の再活性化は不可能だと断言しているのも印象深かった。その点で、後で姜尚中氏との質疑でも話題になったが、ナショナリズムの克服は大きな問題だとしながらも、ナショナリズムとのせめぎあいについては楽観的な姿勢でいるような印象を受けた。
姜氏は日本の右寄りのナショナリズムを念頭においているわけだが、ネグリ氏はむしろ国民国家を呪物化している旧左翼を問題視しているためか、議論がうまくかみ合っていないようにも見えた。
ネグリ氏は1933年生まれというから、計算違いでなければ御歳80歳である。髪は白いが、えっ80?ウソっていうくらいに若く見えた。いやあ、お元気なことだ。EU統合のことが話題になった際、自分が子どもの頃からの夢だったと言いながら、戦時中のことにふれられたので、あれ、と思ったが、うちの老父と同世代か。驚いた。
国家の連合はホッブス的な恐怖によるのではなくスピノザ的な愛によるべきだと言ったり、最後に、特異な者の連帯によるマルチチュードには希望があると述べたりしたのは、戦後を生きぬいた老思想家のメッセージなのだなと感じた。