「四谷怪談」を読む(九)伊東家の屋敷

伊東喜兵衛の話の続き。

伊東家の屋敷

『四ッ谷雑談集』の伊東喜兵衛はその性格こそ「悪逆無道」と貶されているが、素直に読んでいるとどことなく華やかイメージが付きまとう。なにしろ喜兵衛が最初に読者の前に姿を現すのは花見の席であり、物語が進んでからさらにもう一度、花見の場面が描かれる。そして、物語の最後に、大晦日の大雪の日に死ぬ。春爛漫、満開の花を背景に現れ、真っ白に降り積もった雪のなかで死ぬ。実に芝居がかった男なのだ。
この男の性格については前に述べたので、今回は外的な側面に触れておこう。
御先手組与力・伊東喜兵衛は現代の感覚からするとかなり広い屋敷に住んでいる。敷地はおそらく三百坪。広い庭に桜をはじめ、四季折々に咲く花樹を植えている。
喜兵衛は財産家という設定だが、屋敷が広いのは幕府からそのような宅地を割り当てられているからで、彼個人の財力によるものではない。御先手組与力は戦時には小隊長として前線を駆け回る役目なので馬を飼っておく必要があった。だから、馬を飼うスペースが与えられていた。しかも御先手組は弓隊と鉄砲隊なので、弓や鉄砲の練習をするスペースも与えられていたため、屋敷はかなり広かった。こうしたことは『雑談』本文に明示されているわけではないが、江戸時代の読者は当然の社会常識として知っていた上で読んでいた。
喜兵衛は妻子も持たず、広い屋敷に女二人、男二人くらいの使用人とともに住んでいた。男のうちの一人には買い物や伝令、その他、表向きの用事を担当させていたはずで、後者はお岩を呼び出すときに登場している。もう一人は馬の世話や庭の手入れなどをする。この厩番は『雑談』には登場しないが、与力は騎兵だから馬を飼っていたはずだから当然その世話をするものを雇っていたと推察する。女二人は妾とされている。

お花とお梅

喜兵衛の妾は二人、数えで二十歳のお花と十八のお梅である。南北の芝居では伊右衛門の後妻に入るのは喜兵衛の孫娘お梅だが、『雑談』で伊右衛門と結ばれるのはお花の方で、お梅は三味線は上手いが唄が下手だと喜兵衛にからかわれる程度で、ほとんど出番はない。
彼女らは妾といっても雇用された使用人であって、喜兵衛は伊右衛門に、お花のことを「食を御たかせ候へ」と言ったり、「我等の所帯を預置たれば内証の事は随分功者」だと自慢したりしているから、彼女は台所から家計のやり繰りまでまかされていたようだ。お花の「親元は由々敷侍の果て」だとされているから、武家のしきたり・作法にも通じていたのだろう。身分はあくまでも使用人だが、実質的には伊東家の主婦である。琴が得意で、来客の接待も行う。年下のお梅はおそらくお花の見習いという役割なのだろう。
お花が「親元は由々敷侍の果て」の娘だとして、それがなぜ与力の妾をやっているのか。この時代、失職した「由々敷侍」は大勢いた。あるいは豊臣方の残党だろうか。というのも『雑談』では伊右衛門は石田光成の部下の孫という設定だからだ。だとすれば、お花が伊右衛門の「花車風流」に魅かれていたという『雑談』の記述は、まだ荒々しい気風の残る江戸の武士にくらべて雅な上方の雰囲気を伊右衛門が漂わせており、それを互いに嗅ぎとったということなのかもしれない。
と、あたかも彼女らが実在の人物であるかのように書き出してみたが、ここが考えどころである。お花とは誰なのか。
続きはまた。