江戸しぐさ

某ブログにちょっと驚いた記事があったのでメモしておく。
当該ブログの筆者さんは、昨年、小学6年生だったお嬢様の授業参観でのこととして次のように書かれている。
道徳の時間だったそうだ。
導入で、先生が、警視庁の職員数が約4万人であるのに対して江戸の同心の数は24人だったという話を紹介した。
この話をとっかかりにして、江戸も大都市であったのに同心の数が少なくてもすんだのは、「江戸しぐさ」というマナーが普及していてほとんど犯罪は起こらなかったからだ、と展開して、「江戸しぐさ」のあれこれを紹介するというものだったそうだ。
筆者さんには失礼ながら、本当にこのような授業が行われたのか、何かの間違いではないかと驚いた。
仮にこの筆者さんの書いていることが本当であれば、その指導のめあては礼儀か思いやりか公徳心かはわからないが、おそらくマナーを大切にという主旨のことだったのだろう。それはわかる。
だが、公共のマナーや他人への思いやりを大切にと言うためにこんなめちゃくちゃな授業をしていたとしたら大問題だ。

比較がおかしい

まず警視庁の職員数と江戸町奉行所の同心の数を比較すること自体がおかしい。
警視庁は東京都全域の警察行政を担う組織である。これに対して江戸町奉行所は現在の23区よりも小さい範囲である江戸市中の、それも町人居住区のみを管轄する役所である。武家地は目付、寺社地は寺社奉行の管轄である。
そのうえ、約4万人という警視庁の職員数は、交番のおまわりさんから警視総監までをも含めた数だろう。これに対して、24人という同心の数はおそらく定廻り同心のことだろう。この比較がものすごくおかしい。
定廻り同心は特定の地域を担当する捜査官であって、町奉行所の組織の一つにすぎない。町奉行所では定廻り同心の他に、中堅管理職である与力に率いられた同心のチームがいくつもあったし、与力・同心たちはそれぞれ岡っ引きなどと呼ばれる手下をかかえていた。また、彼らをバックアップする事務官僚もいた。現代の警視庁だって全職員が刑事事件の捜査にかかりきりではないはずだ(他にも仕事はたくさんあるだろう)。
こんな、意味のないどころか、誤ったイメージを擦り込むような比較をしてはならない。
江戸時代にも犯罪は起こっていたし、それを取り締まるための対策もなされていた。町奉行の手にあまる凶悪犯に対しては火付盗賊改が設けられたりしている。その他、将軍の警護は小姓組江戸城の警備は御先手組というように、警備部門は町奉行所ではなく別の組織が担っていた。また町の各所に番所が設けられ番人が常駐していたし、示談ですむ程度のトラブルは町名主が処理していた。
このように、江戸時代と現代とでは警察行政の仕組みが違うので、町奉行所と警視庁を単純比較することはできないのである。

江戸しぐさ

もちろん江戸時代にもマナーはあった、などと言うのを江戸時代の人が聞いたら、お前さんらのような礼儀知らずとは一緒にしないでくれと叱られると思う。ただし、それは現代人が道徳的に退廃したのではなく、社会生活の条件が変わったため、そう見えるだけである。
以下は、江戸に特有のマナーを「江戸しぐさ」と呼んだ江戸時代の記録がでてくれば潔く撤回する。
大都市であった江戸には大都市特有の市民モラルが発達しており、それを「江戸しぐさ」と呼んだというのは、なんだか夢があっていい話だが、これはたぶん現代人が思いついたロマンにすぎない。
そもそも「江戸しぐさ」という言葉の語感自体が江戸時代っぽくない。
もとは歌舞伎か落語の所作にヒントを得た粋なマナーのすすめというものだったのだろう。話のネタ程度のことであればいいが、それが江戸時代の社会生活や警察行政の誤ったイメージと結びつけられて学校で教えられるとなると話は別である。
江戸時代のモラルとしては、幕府公認の儒学の他、心学などもある。仏教僧の説法や軍学者の講釈のなかにも世俗道徳は含まれている。教えるならそっちをちゃんと教えろよ。
たかだかマナー向上キャンペーンのために二重三重にウソをついていいとしたら、それはたしかに道徳の退廃の兆候だろう。道徳の衰退は道徳教育から始まるというわけだ。