「四谷怪談」を読む(二十七)長右衛門の鏡

『四ッ谷雑談集』中巻の二番目の章「田宮伊右衛門屋敷不思議有事付四男鉄之助死事」の後半が私にとって怖いのは、子どもをめぐる怪談だからである。
幼い子どもが呪われたり、幽霊になって祟ったりする話はなんだか後味が悪くて嫌なんだよなあ。と自分に言いわけして怖いところにふれるのを先延ばしにしている。
伊右衛門の末娘お菊の三回忌の法事に集まった人々は、伊東土快の音頭取りで夜更けまで呑めや歌えやの宴会を続けていた。
近所から苦情が来ないのは、御先手組同心の屋敷は鉄砲の稽古ができるよう庭が広くとってあるためと、おそらく、伊右衛門宅でドンチャンやっているのが当の近所の人間だからだろう。あとで出てくるが、『雑談』では、秋山長右衛門宅は伊右衛門宅に隣接していたことになっており、近藤家も近かったのだろう。
大人たちが騒いでいるので起きていた伊右衛門の二男鉄之助が、何か急に思い立ったように家の裏庭にかけ出して行った。そこには「去年世を去しお菊昔の体にてたゝずみ居たりける」。「去年」は「きょねん」(一年前)ではなく「さるとし」とでも読むのだろうか。死んだはずのお菊が生前の姿で裏庭にたたずんでいた。
驚いた鉄之助は座敷にかけ戻って、大人たちに言った。
「裏の植込みにお菊がいたよ、急いで見に行って」
大人たちが怪訝な顔をしていると、鉄之助は再び裏庭に行って、しばらくしてから駆けもどり、父・伊右衛門の膝にすがりついて「怖いよう」震えわなないた。
大人たちが「何を見たのか」と問うても、ひたすら「恐ろし」と言うばかりなので、土快が立って、裏庭の様子を見に行ったけれども何ごともなかった。おそらく狐にたぶらかされたのだろうと、いろいろなだめすかしてみたが、鉄之助は父母の膝にすがりつくばかり。秋山長右衛門が鏡を持ちだして、座敷のなかを鏡に映してみたけれども変わった様子はない。にもかかわらず、鉄之助の震えはいよいよ激しくなり、「怖いよ、今座敷のなかにいるよ」と泣き叫ぶ。大人たちはあれこれの護符や魔除け札を取り出して鉄之助に持たせたが効果はなく、汗だくになって「怖い怖い」と言うばかり。…

心霊写真について

このあたり、おそらく叙述が混乱していて、長右衛門が鏡を持ちだしたのは、鉄之助が「恐し恐ろし、今座敷の内に有り」(送り仮名補足)と言い出してからなのだろう。話の流れとしては、裏庭から駆け戻ってきた鉄之助が怖い怖いというので、武勇を誇る土快が裏庭に様子を見に行った。「怪しいことは何もなかったぞ」と土快が戻ると、鉄之助が座敷のなかに何かいると言い出したので、長右衛門が鏡を持ちだした、というのが妥当な順番だ。
今でも、肉眼では見えない何者かがカメラや類似の光学機器を通してなら見えると思っている人は相当数いる。肉眼で見えない微生物やなにかも顕微鏡を使えば見える。実物を見たことはないが、赤外線カメラというものがあって、人間の視力の範囲外にある赤外線をとらえることができるのだそうだ。そうした意味でなら、道具を使えば、見えないものを見ることはできる。
しかし、顕微鏡だろうが赤外線カメラだろうが、光学機器によってとらえられる映像は物理的実体のある何かであって、超自然的なものではありえない。自然科学で実証できないからこそ超自然なのであって、霊を科学的に実証しようとする「心霊科学」は矛盾した試みである(趣味としては面白いのかもしれないが)。
だから、私には心霊写真というものがピンとこない。カメラに写るようでは心霊ではありえない。心霊写真というものがあるとしたら、撮影したときにはそこにいたはずの人が写っていない場合である。その人にカメラを向けて、はいチーズとシャッターを押したのに、背景だけしか写っていなかったとしたら、これはもう正真正銘の心霊写真だ。
もちろん、シャッターの押される寸前に被写体がずっこけて、カメラのフレームの外に出たという場合もあるだろうが。
それはともかく、だからこそ運よく幽霊に出会えたら、ぜひとも記念にカメラ撮影することをお薦めする。出来上がった写真に何も映っていなかったら、あなたが出会った何者かは幽霊か、少なくとも物理的実体を持たない何かである。逆に写ってしまったら、それは幽霊によく似た誰かということになる。

照魔鏡

しかし、人間の肉眼はしばしば見誤るというのも事実で、錯覚や幻覚にとらわれることもある。そこで「長右衛門心得、鏡を持出て座敷の内を色々と移見れ共替たる事もなく」とあるのは、鏡という媒体を使って真相を見きわめるということが行われたのだろう。照魔鏡である。この長右衛門の鏡はわたし的にはOKなのである。
話が混乱するかもしれないが、私の心霊写真についての否定的な見解は近代科学の自然像を前提としているものなので、おそらく朱子学と通俗仏教の合成であろう江戸時代人の自然観とはズレがあるため、心霊写真否定論の論理をそのまま江戸怪談にあてはめることはできない。
そもそも江戸時代人は今で言う心霊現象を、物質(非・精神)/精神(非・物質)という対立項でとらえていない。幽霊はごく希薄な気の集まりだという説明がされたり、狐狸妖怪の狐や狸も切れば血の出る動物だったりする。近代科学とは物事を理解する枠組みが違うのである。
長右衛門が鏡を持ちだしたのも、近代科学を前提として心霊現象を検証するためではない。われわれが見ている光景は、われわれに見えているとおりにあるものなのかを確かめようとしたのだろう。だから、鏡に何も映らなかった、ではなく、異常(替たる事)はなかったと書かれているのだろう。
長右衛門は、物理現象でないものを物理的な方法で実証しようという無理なことをしているのではない。私たちの目は確かなのだろうか、あるはずのものが見えていないだけなのではなかろうか、あるいは、あるものが別のかたちに見えているのではなかろうか、と我が身を省みているのである。
その結果、異常は何もなかった。先に現場に急行した土快も怪しいことはなかったと言っている。だとすれば、目に見えない何者かが鉄之助にとり憑いたに違いないというのが妥当な推論である。そこで、その場に居合わせた人々が守り札などを持ちだして鉄之助に持たせた。これも、実にまともな行動であった。しかし、その効き目はなかった。