化け猫の困惑

今年は申年ですが、猫の話はどうかと言われて弱っています。
猫は輸入動物なのでそんなに古くはさかのぼれない。平安時代には貴族や寺院で飼われていたそうですが、一般に知れわたるようになったのはもっと後、『徒然草』の頃からでしょう。
それと関連して、「野猫」問題がある。前近代の文献で野猫と書かれている場合、これが野良猫なのか、タヌキ、アナグマなどのことなのかよくわからない(ヤマネコは本州にはいないのでこの場合考慮しない)。『明月記』の猫又などはこのたぐいでしょう。『徒然草』に、飼い犬を猫又と間違えた話があるのも、猫というもののイメージがまだはっきりしていなかったからではないでしょうか。
ちなみに、猫が放し飼いになったのは『猫の草子』によれば、江戸時代の初めころからのようです。それ以前は、野良猫はいたとしても数は少なかった。猫という言葉は知っているけれども実物を見たことのない人も多かったのではないか。
生活圏の違いによっては未確認動物扱いだったわけですから、猫とはそもそも怪しげな動物であったとも言えます。今でいえばハクビシンみたいなものでしょうか。
いろいろよくわからないところがありますが、猫又といいますが、年を経た動物が霊力を得て妖怪化するというのも猫に限った話ではありません。狐も狸も子どものうちから化けるわけではなく、それなりに経験を積んでああなるのでしょう。
なんだか投げやりに話していますが、それも仕方のないことでありまして、化け猫というものは怪談の中では傍流なのではないかと思うのです。
有名な、鍋島だの有馬だのの化け猫、いずれも侍の老母を喰い殺してそれに化ける、正体が見破られて退治される、あれはカチカチ山でしょう。いま手元に資料がないので記憶を頼りに言いますが、確か中世の説話に類話があったかと思います。肉食獣であれば交換可能なんです。猫である必然性はない。
火車ももともとは地獄の鬼でしょう。いつごろから、どういう事情で猫になったのか?これもわからん。
猫らしい話と言えば、江戸随筆に出てくる、手拭い被って踊りに行く話と、思わず人語を発したところを聞きとがめられる話が個人的には好きです。あれは飼い猫でないと落ち着かない。
だから何?と言われればそれまでの話ですが、わからんものはわからん。
実生活でも猫に懐かれないタイプです。