『荀子』「天論編」

荀子(Xun qing BC.313?-230)は、人間は生まれつき善だとはいえず、礼儀や法律によって正さなければならないとする性悪説を唱えた儒学者である。それは同時に、人間の価値とは生まれつきの本性によって決まるものではなく、努力によって聖人君子にもなれるという後天説でもあった。孟子儒家の主流がもっぱら古来の道徳と儀礼によって社会の安定を図ったのに対し、論理や法律を重視した点で異端の儒家と呼ばれる。秦帝国の法制度を整備した李斯の行政能力は師匠の指導の賜物であったろう。
ちなみに『荀子』には、荀子と弟子の李斯との問答も記録されている。李斯が秦の軍事力を賞賛したのに対して荀子は「お前はわかっていないな。確かに秦は強大な国だが、その内実は他の諸国が連合して攻めてくるのではないかとビクビクしているのだ」と痛烈に批評している。荀子の言葉から透けて見えてくる秦の国家像とは、国際協調路線よりも単独行動主義に傾きがちな覇権国家である。李斯は自分の才能を試す国として秦の軍事力に目を付けていたのだが、師匠からは「本末転倒である。仁義なき軍は末世の軍ぞ」と戒められている。

「妖怪」という語の来歴

荀子儒家の異端とされたのは道徳よりも法を重んじたからというだけではなかったように思う。それが「天論編」に顕著に示されているリアリズムである。儒学の祖、孔子にとって天はキリスト教的な人格神ではないにしても、天意を感じさせるという点でなにほどかは超自然的なものではあった。ところが荀子のいう天は、そのまま自然といってもさしつかえないほどに超自然的側面がない。「唯聖人のみ、天を知ることを求めずと為す」(二)というのは、天意を知ろうとしてじたばたもがいても仕方がない、天は天、人は人、人として為すべきこと為すまで、というリアリズムの表明である。
古代中国でも占星術はおこなわれていたが、荀子は世の治乱は天の影響か?と尋ねられても、日月星辰の循環は政治の善し悪しにかかわらずいつの時代でも同じだ「治乱は天に非ざるなり」(五)とにべもない。また雨乞いの祈祷をして雨が降るのはどうしてか?と問われても、雨乞いをしなくても雨が降るのと同じで降るときは降るということにすぎない、と答える。荀子から見れば雨乞いや占いは為政者がおこなう政治的行為のレトリックとして重要なのであって神秘的なものではない。「文(かざ)るとおもえば則ち吉なるも、神なりとおもえば則ち凶なり」(九)。
このようにあくまで荀子にとって天は天、人は人なのであり、自然現象に超自然的な意図を読みとろうとするのは無益なことなのである。
ただ、私にとってこの「天論編」が面白いのはそのリアリズムのためだけではない。その妖怪論にある。実を言うとこれまで私は「妖怪」という熟語の成立はそんなに古いものではないのではないかと疑っていた。「妖怪」という語は現代では超自然的なモンスターを意味する言葉として使われるのが一般的だが、江戸時代までは怪異をあらわす語として形容詞的に用いられることの方が多く、いわよる妖怪は「物の化」、「化性のもの」、「変化」と呼び、幽霊や怨霊は「亡霊」、「死霊」と呼ぶことの方が多かった。
怪談話もそうたくさん読んだわけではないが、目に付いた範囲では近代以前で「妖怪」という語は「変化」を強調するために「妖怪変化」とする程度しか記憶にない。だいたいが「妖」も「怪」も「あやしい」という形容詞であって、それだけで現代のように怪異なる精霊という意味の名詞にはならないはずだろう。だからことによると「妖怪」という語自体がそんなに古い時代にまでさかのぼれるものではないのではないかと思っていた。
ところが、『荀子』「天論編」には「妖怪」(「妖」の偏は示偏の旧字)という語が記されているのだ。
(道理にしたがって生活していれば)「妖怪もこれをして凶ならしむること能わず」、(道理からはずれていれば)「妖怪も未だ生ぜざるに凶なり」(一)
浅はかな私の見込と違って「妖怪」は紀元前からあった古い言葉だったのである。
荀子が挙げている妖怪の実例は、怪星が墜ちること、樹木が音を出すことである(八)。そして、これらは「天地の変・陰陽の化にして」まれにはあることだ、珍しいことなので不思議に思うには違いないが単なる自然現象だから畏れることではない、と説く。
怪現象についての、不思議だがまれにはあること、という受け止め方は、荀子だけではなく後世の朱子を経て日本の江戸時代の教養人(山岡元隣、鈴木桃野)にも受け継がれていく態度である。一種の合理主義的態度ではあるが、ではその真相はどうなのか、ということについては積極的に調査しようという態度は見られない。『史記』には始皇帝の晩年、「明年始龍死す」と刻まれた隕石が発見されて騒ぎになったという話や、陳勝が秦への反乱軍を挙兵するとき仲間の志気を高めるため神託を偽造したエピソードもある。不思議な怪現象は自然現象だけとは限らないのだ。
もちろん、よくある怪談話の教訓のように、いちばん恐ろしいのは人間の欲というもので…、ということは荀子もよくわかっていて、自然界の怪現象はどんなに不思議でも畏れるに値しないが、「物の甚だ至る者にして人妖なれば、則ち畏るべきなり」(八)と「人妖」こそ恐ろしいものだと言っている。荀子の言う「人妖」は具体的には悪政・失政による社会の混乱を指す。「妖は是乱より生ず」というのが荀子の基本的な認識である。
史記』「李斯列伝」には、秦帝国の丞相として権勢を極めた李斯が「昔、荀子先生から『物の甚だ盛んなるを戒めよ』と教わったものだが、頂点を極めた私はこれからどうなるのだろう」というような感慨をもらす場面がある。私はこれまでこの「物の甚だ盛んなる」ということを贅沢や傲慢のことだと思いながらもなんだかしっくりこないものを感じていたが、『荀子』「天論編」の「物の甚だ至る者にして人妖なれば、則ち畏るべきなり」という文を読んで、得心した。荀子は政治的野心に富んだ弟子の李斯に、社会を混乱させる人妖にはなるなよ、と諭したのであったのだろう。