三木清の日記

楚狂接輿の話で思い出すのが、三木清の日記です。これはおそらく今では絶版でしょうが、『哲学と人生』(講談社文庫、昭和四六年)という本に寄せられた桝田啓三郎氏による解説中に引かれているものです。
この本は体裁上は三木清著となっていますが、実際は桝田氏の編纂による「三木清セレクション」とでもいった方がよいもので、タイトルの『哲学と人生』というのも「三木清の思想と生涯」という意味でしょう。生前、三木が発表した論文や遺稿から、三木の特徴がよくあらわれているものを抜粋して三木の生涯と思想の変遷がたどれるように構成されています。『世界の名著』(中央公論社)とか『人類の知的遺産』(講談社)のようなシリーズの一巻に加えられてもよいようなものです(実際そういうものとして企画されたのかも知れません)。
ですから桝田氏の解説も、ごくありきたりな文庫本の解説ではなく、三木清の評伝として独立して読まれてもよいような力作です。そのなかで桝田氏は三木清の日記から一九三七年七月三日の記事を引用しています。

省線に乗ったら、気狂のような人間がいてしきりに喋っている。ひとり演説句調で喋っている。聞いていると、喋ることは気狂でなく、全く道理のあることだ。彼曰く、この電車も、汽車も、飛行機も、皆西洋人の発明したものだ、日本にも偉い人間が出なければならぬ。然るにこの頃の政治のざまは何だ……内村鑑三日露戦争の時に非戦論を唱えた……カーライルはTo be great is to be misunderstood.と云っている。予言者の出現が必要なのだ……等々。……狂人の真似をしなければ、正しいことが云えない時世かも知れない。」(前掲書、p533-534)

接輿の歌を思い出すと同時に、三木が書き付けたこの場面も思い出されるのです。
狂気には真理が含まれていると人が思う、とは、どういうことなのか。
孔子は接輿と語り合おうとしましたが、接輿は走り去ってしまいました。
それは話してわかるようなものではないのかも知れません。つかまえようとすると逃げていく。「往く者は諫むべからず、来たる者は猶お追うべし。」

暑くなってきましたので考えがまとまりません。解釈のこととか、いろいろ気にかかることはあるのですが、仕事も少し忙しくなって、ゆっくり本を読む時間が取れません。
ブログを始めようとしたときに、ある方から無理にでも最初の一ヶ月は毎日続けるように、と助言していただいたのですが…。