『荘子』の狂接輿

過日、中国の古典に登場する隠者、狂接輿の歌をうろ覚えに引いた挙げ句、その出典を『荘子』か『論語』かと迷ったすえに『論語』として「『荘子』には孔子を登場させて道家の立場から皮肉る話がいくつも出てくるので、その中の一つだったかも知れないと思って、ちょっと迷った」と書いたが、とんだ赤っ恥をさらしてしまった。
狂接輿は『荘子』にも登場する。荘子〈1〉 (中公クラシックス)
これに気づいたのは、『列仙伝・神仙伝』のお陰だった。『列仙伝・神仙伝』は中国の仙人についての伝承をまとめたもので、パラパラめくっているだけで浮世離れした気分になれる。

列仙伝・神仙伝 (平凡社ライブラリー)

列仙伝・神仙伝 (平凡社ライブラリー)

暑さと遅々として進まぬ仕事に苛立って、気分転換にと同書を開くと陸通という仙人について次のように書いてある。

陸通は、楚の奇人の接輿だといわれる。養生のことに熱心で、櫨の実と蕪菁の種とを食用とした。諸方の名山にも出かけてゆき、のち蜀の娥媚山に住んだ。代々その姿を見かけたが、数百年たって所在が知れなくなった。

『列仙伝・神仙伝』にかかれば、老子太公望、介子推、墨子も仙人にされてしまうのだから、孔子をからかった接輿が登場するのも当然と言えば当然なのだが、訳者注に接輿は「『荘子』人間世編その他の書に見える」とあるのを読んで仰天した。
あわてて『荘子』をめくると、狂接輿は『荘子』では『論語』以上に大活躍をしていた。
言い訳をしておくと、接輿の歌(鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰えたる)は、よく似たものは『荘子』にもあるが、私が覚えていたのは確かに『論語』のものだし、『荘子』に記載されている逸話は『論語』に記された伝承を道家の立場から再解釈したものとも思われるので、出典を『論語』としたこと自体は間違いではないのだが、なんとも格好が悪い。
反省のために、『荘子』の接輿の歌を引く(森三樹三郎氏による読み下し文)。

鳳や鳳や、如何ぞ徳の衰えたるや。来世は待つ可からず、往世は追う可からざるなり。天下に道有れば、聖人成し、天下に道無ければ、聖人生く。方今の時は、僅かに刑を免れんのみ。福は羽よりも軽きに、之を載するを知る莫し。禍は地よりも重きに、之を避くるを知る莫し。已みなんかな、已みなんかな、人に臨むに徳を以てするは。殆ういかな、殆ういかな、地を画して趨ることは。迷陽よ、迷陽よ、吾が行くを傷つくる無し。吾が行くは郤曲し、吾が足を傷つくる無し。山木は自ら冦するなり。膏火は自ら煎くなり。桂は食らう可し、故に之を伐る。漆は用う可し、故に之を割く。有用の用を知るも、無用の用を知る莫きなり。

比較のために『論語』の接輿の歌をあらためて掲げておく。

楚の狂接輿、歌いて孔子を過ぐ、曰く、鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諫むべからず、来たる者は猶お追うべし。已みなん已みなん。今の政に従う者は殆うし。孔子下りてこれと言わんと欲す。趨りてこれを辟く。これと言うことを得ず。」(岩波文庫版『論語』、p253)