「雪女」と「鶴女房」(ハーン「雪女」の謎2)

 ハーン「雪女」とは、「鶴女房」型異類婚姻譚のストーリーを、西多摩郡調布村を舞台にして、積雪地帯で語り継がれてきた妖怪「雪女」に演じさせたものだったのではないだろうか。これが考えられる第一の仮説である。
 木下順二の戯曲『夕鶴』ISBN:4101089019た「鶴女房」は、昔話『鶴の恩返し』として知られているが、物語のクライマックスは、異界のものとの契約(タブー)を破った人間の戦慄の物語である。機を織る女房の、その姿を決して見てはいけない、というタブーをあえて破る場面は、語り方を変えればそのまま怪奇民話になる。
 二つの物語の基本パターンは次の通り。
 A 異類(女)と人間(男)の婚姻
 「鶴女房」では、鶴(の姿をした精霊)を男が助け、それが縁となって二人は結ばれる。ハーン「雪女」では、雪女が巳之吉を助けるので話は逆のように見えるが、雪女が巳之吉を見逃したのは、彼の若さと美貌を惜しんだからだということに注意したい。
 B 異類によってもたらされた富の享受
 「鶴女房」では、女房が機を織って家を富ます。ハーン「雪女」では、おゆき(雪女)は農家のよき主婦として働き、子どもを産む。働き者の主婦を嫁にむかえること、また子どもをもうけることはいずれも富(労働力)の蓄積と考えられていたことはいうまでもない。
 C 人間(男)がタブーを破る
 「鶴女房」では、機を織る姿を男が覗く。ハーン「雪女」では、かつて雪女と出会ったことを口にする。
 D 異類が正体を明かし異界へ去る
 「鶴女房」もハーン「雪女」も男がタブーを破ったことを責めながら、異類としての正体を現し、異界へと去っていく。
 以上のように、「鶴女房」とハーン「雪女」は、同型の物語である。
 「鶴女房」で登場する異類は「鶴」だが、「鶴女房」型異類婚姻譚というカテゴリーに含まれるのは鶴と結婚した男の話ではない。右のような物語の基本パターンを踏襲しているものはすべて「鶴女房」型と呼ぶ。「鶴女房」は代表的事例であって、日本各地に伝わる同型の民話に登場する異類は鶴とは限らず、山鳥、鴨、狐、蛤、魚などであったりする。記紀神話豊玉姫のように鰐(鮫)である場合もある。女房の正体である異類は交換可能であり、もちろん雪女でもかまわない。
 ただし雪女が登場する「鶴女房」型異類婚姻譚は、ハーン「雪女」のほかに数えるほどしかなく、しかも、明治時代以前にさかのぼれる記録がないため、それらはハーン「雪女」に先立つフォークロアというよりも、むしろ、今野氏の指摘するようにハーンの影響によるものである可能性も充分に考えられる。この疑念をはらすに足る資料が発見されるまでは、雪女が古くから「鶴女房」型異類婚姻譚のヒロインであったと想定することはできない。
 「鶴女房」型異類婚姻譚において、女に化身した精霊はみな一様に、正直であったり、親切であったりしながら貧しい暮らしを送る若者のもとに押しかけ女房として現れ、富を与えて去っていく。ここから「鶴女房」型異類婚姻譚の基本は精霊と人間との契約を伴った交換であると考えられる。
 ハーンの描く巳之吉は、作者のロマンティシズムの発露か、他の民話に登場する男の属性である正直や親切が若さと美貌に置き換えられているが、それが神々の意にかなう美徳であることに変わりはない。美徳と富の交換がこの物語の基本である。
 人間と精霊との出会いは暴力的な衝突から始まる。「鶴女房」では鶴は人間の仕掛けた罠に捕らえられて傷ついているし、ハーン「雪女」では雪女は人間の命を奪おうとする。人間と精霊とのこの暴力的な邂逅に和解をもたらすのが契約を伴う交換である。
 すなわち「鶴女房」では、人間の親切(罠から鶴を逃がしてやる)の代償として、機を織る姿を覗いてはいけない(技術の秘匿)という契約のもとに織物が人間にもたらされる。ハーン「雪女」では、巳之吉の若さと美貌が荒ぶる自然を鎮める捧げものとして差し出され(その若さと美貌は失われるわけではないが雪女に独占される)、秘密の保持という契約のもとに子孫繁栄という幸福がもたらされる。そして、人間の側の契約違反により、富をもたらした異類は人間のもとを去っていく。
 このように、「鶴女房」とハーン「雪女」は、異類(女)と人間(男)の契約を媒介にした交換の物語として同じ物語の類型に属するものと考えられる。女を得ること自体が富の蓄積だから、異類が女で人間が男である点も重要である。
 ちなみに男女が逆転した蛇婿入り・猿婿入りとして知られる異類婚姻譚は、単に同じ類型の物語の男女の役割を逆にしたものではない。婿入り型異類婚姻譚は次のような話である。
a 父親が異類(蛇・猿・河童など)に奉仕の代償として娘を嫁にやることを約束する。
b 異類は契約にもとづいて求婚し、人間の娘を妻にする。
c 異類のもとに嫁いだ娘は機転を利かせて異類を殺し、実家に帰ってくる。
 人間の娘に惚れたばっかりに、みすみす殺されてしまう気のいい異類の婿が気の毒なほどの、やらずぼったくりの話であり、同じ異類婚姻譚とはいえ「鶴女房」型異類婚姻譚とは異なる物語である。たとえ求婚する異類を蛇や猿から鶴や雪男に替えたとしても物語の構造は変わらない(異類の婿を犬に替えれば馬琴『八犬伝』の八房と伏姫のエピソードになる)。