ひとつの仮説(ハーン「雪女」の謎3)

民間伝承の雪女たちに戻ろう。七人の雪女が登場しているが、彼女たちは名前は同じでも演じている役割はそれぞれ違う。
青森県で正月元日に来て卯の日に帰るという西津軽郡の「雪女」は季節を司る女神、歳神。
弘前五所川原の雪女は産女である。
岩手県の西山の奥で樵たちを誘い出し精を吸い取った雪女子、宮城県の面白山峠付近でマタギが会ったという雪女は通り悪魔の類。
秋田県の子どもを抱かせる雪女は産女で、出会うと命を取られるという若く美しい雪女は通り悪魔。
山形県の雪女郎は産女。
以上から、民間で語り継がれた雪女遭遇体験は、

  1. 歳神型
  2. 産女型
  3. 通り悪魔型

の三つに大別されるように思う。なかでも産女型の雪女の活躍が顕著である。
インターネット上で開設された「怪異・妖怪伝承データベース」で検索しても、出てくるのは、子供を抱いた産女型か通り悪魔型である。
産女型、通り悪魔型というのは、登場する精霊の名称による分類ではなく、彼女たちが演じる物語の枠組みによる分類である。(http://www.nichibun.ac.jp/youkaidb
産女型というのは、主に産女(ウブメ、姑獲鳥とも書く)という妖怪との出会いを語る物語で、基本的には次のような話である。男が夜道を歩いていると、赤子を抱いた女が現れ、どこそこまで子供を抱いてくれ(負ぶってくれ)という。言われるままに抱いてやると、どんどん重くなる。我慢できずに子供を離すと取り殺されるが、女がよいというまで抱き続けると怪力を授かる。これは産褥で死んだ女の亡霊がなせる怪異だという。今夏、映画化された京極夏彦姑獲鳥の夏』はこの妖怪の伝承をモチーフにしている。

姑獲鳥の夏 (講談社ノベルス)

姑獲鳥の夏 (講談社ノベルス)

通り悪魔型というのは、不運にも魔性のもの(通り物ともいう)と行き会ってしまい、魔に魅入られる、という交通事故のような至極単純な話である。通り魔に襲われるという言い回しもここから来ている。単純なだけに、怪異と出会ってしまう体験のなんともいえぬ不気味さをよく表している。
いずれにせよ雪女というのは、出会った人間を化かすか殺すかしてしまう恐ろしい魔性の精霊である。ハーンの描いた「お雪」のような、処女神と地母神を兼ね備えたようなロマンティックな性格はかけらもない。また「鶴女房」のような契約に基づく富の贈与というモチーフもない。
雪女の登場する民話にはもう一つ、季節の到来を告げるタイプのものがある。青森県に伝えられた歳神型もその一つである。

例話

あるところに、老いた両親と暮らす若い男がいた。家は貧しく嫁の来手もないことを嘆いていた。ある大雪の夜、旅の途中で今夜の宿に困っているという娘と出会い、親切心から一晩泊めてやった。ところが翌日になっても雪は降り止まない。雪道は難儀だからともう一晩泊めてやったが、その翌日も雪は降り続いた。
こうしているうちに娘と男は親しくなり、またその娘は器量も気だてもよかったので老いた両親もぜひうちの嫁に来てくれと頼み込み、旅の娘はそのまま男の妻となった。
妻となった娘はよく働き、子どもも幾人も産まれ、幸せな日々が続いたが、ある年の春、雪解けを待つかのようにして、ふいに行方がわからなくなった。あれは雪女だったのだろうと人々は噂した。

このバージョンの雪女は季節を告げる山の神であろう。雪女の訪問はすなわち冬の到来であり、雪女が立ち去った後に残される子供たちは春であろう。季節感に根ざした物語である。民間伝承の雪女たちのうち、これがもっともハーン「雪女」に近い。

さて、ここからは資料のまったくない仮説である。
西多摩郡調布村の出身者がハーンに語り聞かせようとした「雪女」の原型は季節到来型のものだったのではないかと思われる。
ところがハーンはこの物語に惹かれつつも、しっくりこないものを感じた。ハーンはおそらくこう言って不満を述べた。
「母親に置き去りにされる子供が不憫です。よき妻、よき母であったものがたとえ雪女であろうと理由もなく子供を見捨てるはずがない、そうであってはならないのです。いったい、彼女に子供を捨てて家庭を立ち去るどんな理由があったのでしょう?」
理由を問われた方は困っただろう。冬に訪れて春に立ち去る、雪女はそういうものなのだ。ほかに理由などない。しかし、幼いころ、父の不実によって母と生き別れとなったハーンの不満は募る一方である。ハーンはかたくなに言い張った。
「このお話はどこかおかしい。母親がかわいい子供たちを置いて夫のもとを去らなければならない理由があるはずです。」
そこでハーンの要求を満たすために、調布村の者か、『怪談』の共作者である節子夫人かが、よく知られた「鶴女房」型異類婚姻譚の別離の理由、夫によるタブーの侵犯を付け加えた。名作「雪女」はこうして生まれたと考えるのが、ハーンの再話文学と同じ物語が古くから関東に伝えられていたと想定するよりも無理のない仮説だと思う。
ハーン「雪女」の誕生についての私の仮説の当否は、文学史研究の進展を通じて判断されるもので、いま、この段階で絶対に正しいと主張するつもりはない。
それでもハーン「雪女」が「鶴女房」型異類婚姻譚の枠組みによって語られた歳神型「雪女」の物語であることは確かなことだと思われる。

私のハーン像は、いつだったかずいぶん前にテレビドラマでジョージ・チャキリス(『ウェストサイド物語』の主演男優)が演じたものの影響を受けている。確か妻・小泉節子は檀ふみが演じていた。
「オ話シ、聞カセテクダサーイ」
というチャキリス演じるハーンの声が耳に残っている。

2016.1.20付追記

この記事の後半は、憶測にすぎません。別の可能性もあります。
ハーンが節子夫人から聞かされた物語がすでに「鶴女房」型異類婚姻譚であった可能性も考えられます。