抜き書き
フロムより。

かれのサディズムにたいする最後の合理化、すなわち他人の攻撃にたいする防禦としての正当化は、ヒットラーの書物のなかにさまざまに表現されている。かれとドイツ国民は常に罪なきものであり、敵はサディズム的な野蛮人である。これについての多くのプロパガンダは、入念な意識的な嘘からできている。しかし部分的には偏執狂的非難がもっている感情的「真摯さ」をともなっている。これらの非難は、自分自身のサディズムや破壊性を見破られることを防ぐ機能を、常にもっている。それはサディズム的意図をもつのはお前であり、したがって私は潔白であるという方式にしたがっておこなわれる。ヒットラーにあっては、この防禦のメカニズムはきわめて非合理的である。というのはかれはきわめて率直に、自分の目的であると認めているまさにそのことを、敵がおこなえば非難するのであるから、こうしてかれは、自分自身の行動のもっとも正当な目的であるといっているまさにそのことについて、ユダヤ人や共産主義者やフランス人を非難している。(フロム『自由からの逃走 新版』、p250。)

バークより。

「だれかが、これから略奪しようとする人びとについてわるくいうとき、わたくしはそれをあまり信用してきかない。そういう人びとを処罰することのなかに利益がもとめられているときは、悪徳が、いつわられたり誇張されたりしているのではないかと、わたくしはむしろうたがう。」(フランス革命についての省察ほか〈1〉 (中公クラシックス)