清水真木著『友情を疑う―親しさという牢獄 (中公新書)』

今年の10冊、書名をあげただけというのも素っ気ないので、一冊ずつ感想を書いておこうかと思う。
トップバッターは、清水真木著『友情を疑う―親しさという牢獄 (中公新書)』。
万学の祖アリストテレスは、臨終の床で「わが友たちよ、一人も友がいない」と謎めいた言葉を遺したそうである(デリダの『友愛のポリティクス』もこの言葉をめぐって議論がはじめられていた)。
著者は「いちねんせいになったら」という童謡の、小学校に入学したら友人を百人つくりたいという趣旨の歌詞にふれ、競争社会である学校で友人を作ることは無理ではないか?と問いかける。また、スポーツという、さらに競争の激しい世界でしのぎを削っている選手同士が友情を結べるのか?と疑問を呈する。
だからといって著者は、どうせ友情なんて、とシニカルに言ってすまそうというわけではない。友だちとは利害を共有する仲間ではないことをこの例で示しているのである。
それではいったい、友とは誰のことなのか。著者は、はふだん私たちが自明のことと思っている「友情」について、中世のキケロルネサンスモンテーニュ、近代のルソーという西欧の代表的な友情論を取り上げながら、考察をすすめる。そして友情論の前提には「友人とは何か、友情とは何かという問によって本当に問われなければならないのは、友情と公共性の関係であるという理解」があると言う。ここから友情論はセンチメンタルな人生論を離れて、この社会における対人関係はどうあるべきか、という議論につなげられていく。親しさや仲間意識が幅を利かせる社会ははたして健全なのか、と著者は問う。
公共性については、コミュニタリアニズムとかリバタリアニズムとか、政治学の言葉を使った議論もよく見かけるが、同じことを「友情」というキーワードで語った近年まれ見る実に面白い一冊である。