破壊的性格1

梅雨明け間近のせいか暑くはないが蒸すので、爽快感を求めてベンヤミン「破壊的性格」(『暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)岩波文庫)を読んでみる。はにゃーん。

 誰にせよ自分の人生を振り返ってみるなら、この人生でかれを悩ませた深刻なかかわりのほとんどすべては、誰からも一致して〈破壊的性格〉と見られるようなひとたちがその原因を作っていた、という認識に到達するのではなかろうか。ある日かれがこの事実に想到するのは、たぶん偶然のきっかけだろうけれども、そのときかれの受けるショックが強烈であればあるほど、それだけますます、破壊的性格というものを叙述するための大きなチャンスを、かれは手にすることになる。

学生時代、下北沢の古書店で何気なく手にとった晶文社版著作集を開いたとたん、この一節が目に飛び込んできたことをよく憶えている。ちょうど激しいショックを受けたばかりの頃だったので、私なりに「破壊的性格というものを叙述する」ことができるかもしれない、と思ったのだが、ベンヤミンほどの文才も学識もない(しかも若すぎた)私はついに何もなし遂げ得なかった。
しかし、私の思い出話ではなく、ベンヤミン自身にとってはどうだったのか。
このエセーは1931年の執筆であり、33年に政権をとるナチスに対する不安をユダヤ系の彼はすでに感じていただろう(ナチスは30年の選挙で躍進し第2党、32年の選挙で第1党)。そのような時代環境の中で書かれ、そして「破壊的性格」というまさに破壊的な印象を与えるタイトルであるにもかかわらず、ベンヤミンの文体はどこか明るい。それは何か苦り切ったような「暴力批判論」とは好対照である。
もっとも私はドイツ語で読んでいるわけではないので、文体を云々するのはおこがましいかもしれない。あるいは、まだ若く前途洋々たる時期(1921年、とはいえ、ヒトラーナチスの指導者に選ばれた年でもあるが)に書かれた「暴力批判論」が晦渋なのは、それが未開拓の問題に素手で挑んでいるようなものだからであり、不安を感じていてもおかしくない時期に書かれた「破壊的性格」がどこか明るいのは自画像とも友人の肖像ともいわれる、ある特異なキャラクターを描き出すことに終始しているためなのかもしれない。
ともあれ、以下、何回かに分けて、ベンヤミンが描き出す破壊的性格の特徴を検討していく。

 破壊的性格は、場所をあけろ、というひとつのスローガンと、片づけてしまう、というひとつの活動しか知らない。新鮮な大気と自由な空間とをもとめるかれの欲求は、どんな憎しみよりも強い。
 破壊的性格は、若くて晴れやかだ。じっさい、破壊することは、ぼくら自身の年齢の痕跡をも綺麗さっぱり片づけることなので、ひとを若返らせる。それはひとを晴れやかにもする−−というのも、あらゆる除去の作業は、破壊者にとっては完全な還元作業を、どころか、かれ自身の現状の根っこをまで開いてみせる作業を、意味するからである。世界は破壊されるに値いするか、という点に目をつけて世界を吟味するとき、世界がいかばかり単純化されて見えてくるかを洞察するならば、このようなアポロ的な破壊者のイメージは、いよいよ補強される。破壊されるに値いするというこのことこそ、存在するすべてのものをひとしなみにくくる大きな絆であって、このことを見通している破壊的性格の眼前には、じつに深遠な調和の劇が繰り拡げられるわけなのだ。(ベンヤミン「破壊的性格」より)

おそらくニーチェを念頭に置いただろう「アポロ的」という形容が目をひく。太陽神の醒めた意識、晴朗さ、こうしたものに注意したい。
ベンヤミンは若い頃の労作『ドイツ悲劇の根源』において、〈アポロ的−ディオニュソス的〉という対概念で知られるニーチェ悲劇の誕生』を批評している。その趣旨は次の言につきるように思われる。

指摘すべきは、むしろ、ニーチェのこの作品は、そのショーペンハウアー的、またヴァーグナー形而上学のうちに、この作品の最良のものを損なわずにはいない要素を孕んでいた、ということである。(ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』ちくま学芸文庫版邦訳上巻、p212)

この点については、ニーチェ自身も後に自己批判しているので、異論はあるまい。
ところで、「アポロ的」という形容は「破壊者のイメージ」と結びつけられている。『悲劇の誕生』を踏まえるなら、アポロ的原理は造形的な「個体化の原理」であり、ディオニュソス的原理は音楽的で、恍惚と熱狂、没我によって特徴づけられる。したがって「破壊者のイメージ」にふさわしいのは、アポロ的なるものの対極にあるディォニュソス的なるものであるように感じられる。しかし、ベンヤミンは「破壊者のイメージ」を形容する語として「アポロ的」を選んだ。これはなぜか。
これもまた憶測にすぎないのだけれども、ディオニュソス的なもののイメージとナチスのイメージが重なっていたのではないかとも思う。それまで12議席だったのが一挙に107議席を獲得するという、1930年の選挙におけるナチスの大躍進の背景には、茶色のシャツを制服とした突撃隊による街頭示威行進、他党派の集会への妨害・破壊活動があったことはよく知られている。
このことは『悲劇の誕生』の中の次の一節を連想させる。

ドイツ宗教改革は、このような奈落の奥底から突きあがってきたものの一つだ。その讃美歌のなかで、ドイツ音楽の本来の調べが、はじめて鳴りひびいたのである。ルターのこの讃美歌は、じつに荘厳に、雄々しく、気魄にみち、じつにあふれるばかりに、やさしく、こまやかに鳴りわたった。これは密生した藪のなかから春の訪れを感じてほとばしってくるディオニュソスの、最初の、誘いの声であった。この声にこたえて、あたかも競うがごとくこだましてくるのは、あのディオニュソス的熱狂者たちの、清浄な意気にあふれた祝祭の行列であった。これら熱狂者たちのおかげで、われわれはドイツ音楽を手にしている。−−彼らのおかげで、われわれはドイツ神話の再生を手にすることになろう!(ニーチェ悲劇の誕生』中公文庫、p197)

  • 「奈落の奥底から突きあがってきた」−−没落した中間層と出口のない下流ナチスの支持層である。
  • 「荘厳に、雄々しく、気魄にみち」た「ドイツ音楽の本来の調べ」−−ここではルターの賛美歌のことだが、それによってニーチェが暗示しているのはワグナーであり、それはナチスのテーマ曲といっていい。
  • ディオニュソス的熱狂者たちの、清浄な意気にあふれた祝祭の行列」−−行進する突撃隊!

そして、ニーチェの言う「ドイツ神話の再生」はすなわち民族国家の再生に結びつく。

たとい国家といえども、神話的な基礎以上に力づよい不文律をしらない。国家が宗教とかかわりをもっていること、国家が神話的な諸観念から成長をとげたこと、これを保証するものこそ、神話的な基礎そのものにほかなるまい。(ニーチェ、前掲書、p193)

現在から見れば、かつてもてはやされたニーチェの近代批判というものも、民族=国民国家を前提とし、この近代の産物を、あろうことか「再生」しようと企てる点で、目を覆わんばかりの陳腐さと自己矛盾を抱えている(ただし、これは『悲劇の誕生』のニーチェについてである。この一事をもって他の作品、とくに『道徳の系譜』や『善悪の彼岸』の洞察までを否定しようなどとは思わない)。
「現在から見れば」と言ったのは、実はかくいう私もボンクラ哲学青年のご多分に漏れず、若いころはいっぱしのニーチェアンを気取り、ディオニュソス的原理を憧憬していたからなのだが、熱狂のうちに個体が溶解していく先にある共同性が、具体的にはなんのことなのか深く考えてはいなかった。「疑いもなく」とベンヤミンは言う−「ギリシアの合唱劇は民族的な制約を受けたものである」(『ドイツ悲劇の根源』邦訳下巻、p78)。
閑話休題