神話的暴力について

『暴力批判論』において、ベンヤミンは法的暴力の自家中毒ともいうべきジレンマ(これは現代的な言い方をすれば構造的暴力と言ってもよい)を破壊するような「別種の暴力」を要請する。それは「ある決まった目的に手段として関係しているわけではない暴力」であり、顕現としての暴力(宣言としての暴力)である。
そして「そうした顕現が最高度に意味深長なかたちで見出されるのは、何よりもまず、神話のなかである」として、ギリシア神話を引き合いに、顕現としての暴力が境界を措定することによって法措定暴力となることを示し、このような神話的暴力こそ法的暴力の根源的な形態であり、それに対立するものとして神的暴力を呼び出す。
と、要約しても何のことかわからないし、「暴力批判論」を精読しても、法哲学的議論から神話学的議論への飛躍に足がつりそうになる(とくに「運命」でつまずく)。
そこで、神話的暴力を批判する「暴力批判論」とほとんど同じ文章が埋め込まれているカフカ論「フランツ・カフカ」(『ボードレール岩波文庫)の一節を読んでみる。
ベンヤミンは『訴訟』(新潮文庫では『審判』)について次のように言っている。

たしかに法廷は法律書を用いてはいる。だがそれを見ることは、一般人には許されない。「〈…無実の者が断罪されるだけでなく、無知な者も断罪される、というのが、この法廷の在りかたなのだな〉」、とKは推測している。法律や不文律は、太古の世界においては、文字に表記されることがなかった。ひとは知らずにその法を踏みこえて、贖罪をさせられることがありえた。しかし、知らずに贖罪を迫られる者が不運だとしても、贖罪の登場は法の精神からすれば偶然ではなく、運命なのであって、ここでは運命が、その両義性を表出しているわけなのだ。すでにヘルマン・コーエンは、古代の運命観念の簡潔な考察のなかで、「かかる逸脱・離反をひきおこし、引き寄せるものは、どうやら運命秩序そのものである、という洞察が不可避的になる」、と述べていた。Kにたいして訴訟手続きをすすめる法廷も、似たようなものであり、この手続きは一二銅表律の時代よりもはるか昔へ、太古へと、ひとを連れてゆく。成文法の成立は、太古にたいする文明の最初の勝利のひとつだったのだが、このKを取り巻く法廷では、成文法はたしかに法律書のなかにはあるものの、秘密とされていて、この秘密の法に依拠しつつ、太古が、ますます無制限に支配権力を行使している。(「フランツ・カフカ」p13-p14)

運命とは隠された秩序(見ることを許されない法律書、秘密の法)のことなのだ。法維持的暴力でありながら法措定的暴力でもある警察権力の亡霊のような無定型さもこの運命の一側面だろう。
どうもよくわからなかったが、カフカ『訴訟』(『審判』)や『城』の世界を思い浮かべれば、かなり具体的にイメージできる。
しかもベンヤミンはこの、いわゆるカフカ的世界を、よく言われるような現代の官僚機構の問題としてだけではなく、「太古」の問題として捉えている。これは、私には、神意と支配者の恣意と法とが分かちがたく入り交じり、かつそれが秘密にされていたような状態を想定しているのではないか、と思われる。
本来ならば、せめてアリストテレス政治学』くらいは参照しておきたいところだけれども、いま手元にないので、うろ覚えの『韓非子』によれば、王は自らの真意を隠しておかなければならない、それが支配の術である、という。類似の発想は『論語』にも『老子』にもあった。
神々と英雄との境界が不分明な古代世界では、神意と支配者の恣意と法との区別は付きにくい。法を知らずに法に罰せられることを運命と呼ぶのも、こうしたことを念頭に置けば、なるほどと思える。
神意と恣意と法が不可分であることによる不潔さ、腐敗は、記紀神話の出雲の「国譲り」や、ヤマトタケルのクマソ平定の物語にも見てとることができる。そこでは詐術が知恵と呼ばれ、取引(講和)がなされ、その契約に違反した場合は、立場をかえた祟りがある。
現代では、法律は一応公開されている。しかし、その量は膨大で、その構造は複雑で、素人にはその解釈や運用についても含めた全体像を知ることなどできそうにもない。
結局、カフカの描き出す世界と同じことである。K同様、理由がわからずに逮捕され告訴されることはいまでもありうることなのだ。無制限に支配権力を行使する「太古」は過去のことではない、というわけだ。
だからこそ、神話的暴力を「滅ぼすことが課題」とベンヤミンは言うのだろう(岩波「暴力批判論」p58)。

直接的暴力の神話的宣言は、より純粋な領域をひらくどころか、法的暴力のもつ漠とした問題性を、その歴史的機能の疑う余地のない腐敗性として、明確にする。したがって、これを滅ぼすことが課題となる。まさにこの課題こそ、究極において、神話的暴力に停止を命じうる純粋な直接的暴力についての問いを、もういちど提起するのだ。(岩波「暴力批判論」p58-p59)

追記−話は前後するが

目的に対してその手段という関係にはないような暴力、法外の暴力。人間的尺度を超えたものであるから人外の暴力といってもよい。しかしそれをベンヤミンは「すでに日々の生活経験が示している」と言う。

人間に関していえば、たとえば怒りは、人間をある決まった目的に手段として関係しているわけではない暴力の、最も顕著な爆発へと導く。この暴力は手段ではなく、顕現である。しかもこの暴力には、さまざまのまったく客観的な顕現様態があり、それらの顕現において、この暴力は批判の対象となりうるのだ。(ベンヤミン「暴力批判論」、ちくま学芸文庫『ドイツ悲劇の根源』下巻、p263)

この、怒りの例はたいへんわかりやすい。雲をつかむような議論が続くなかでようやく具体的なイメージがわく記述なので、このくだりにさしかかるとホッとするほどだ。
しかし、「日々の生活経験」と言いながら、すぐにも「そうした顕現が最高度に意味深長なかたちで見出されるのは、何よりもまず、神話のなかである」ととんでもないことを言い出すのがベンヤミンである。
しかし、神話的暴力については、ていねいに読めばさほど難しいところではない。

原像的な形態における神話的な暴力は、神々のたんなる顕現にほかならない。神々が抱く目的の手段ではなく、神々の意志の顕現でもほとんどなく、まずもって神々の存在の顕現なのである。(ベンヤミンちくま学芸文庫版、p264)

ここで「神々」というのは、ギリシア神話を想定しているのだろうから、安易な比較は危険であるのを承知のうえでいえば、これは祟りのことをいっているのだなあ、と見当がつく。
「祟り」という語の原義は、「立ち現れる」である。後年、その結果が望ましいものであれば、霊験あらたか、と呼ばれ、望ましくない場合にのみ「祟り」の語が使われるようになったが、もとは神意、または霊威がその存在を自ら現す、つまり顕現することを指す言葉であった。
神話的暴力とはこの祟りのことであって、それが怒りのように、目的に対する手段ではないにもかかわらず、結果としては(「客観的な顕現様態」においては)法措定的暴力になってしまう、というのがベンヤミンの趣旨である。
ベンヤミンは神話的暴力の顕著な例として、ギリシア神話からニオベーの伝説をあげる。
ここから先は、今回、別の訳で読み直しても、かつて書いたことと同じになるので、そちらを参照していただきたい。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20051016#1129452043

ただ、「祟り」伝説と法措定的暴力については、別の事例にも思い当たったので、ここに書き留めておく。
やはり柳田国男の『一目小僧その他』によれば、その橋を渡るときに、ある謡曲を謡ってはならぬ、というタブーのある橋がある。謡いながら渡れば凶事がある、というのである。
かつてこの系統の説話で有名だったのは、山梨県笛吹川にかかる国玉大橋で、「葵の上」を謡うと祟りがある、と伝えられている(後年「野宮」に変わったらしい)。
謡曲を謡うと怪事があると戒められている場所は各地にあり、禁じられている曲も「葵の上」だけでなく、「杜若」(静岡)、「楊貴妃」(熱田)、「道成寺」(磐城)、「山姥」(上路越)などさまざまである。
また、起こる怪異も、道に迷う(国玉大橋)、天狗倒し(鹿児島)、幽霊(越後五泉町)などであり、いま典拠を探せないが「杜若」はたしか化け物屋敷だったと記憶している。
こうした伝承は、してはいけないとされる禁忌(法)に触れたから罰が加えられた、つまり法維持的暴力が発動された話のように語られやすいが、考えてみるとおかしなことがある。
この種の話はたいてい、最初に祟りにあった人の物語として語られ、その事件以前にすでに謡曲を謡うことが禁じられていたかどうかはわからない。また、なぜそれ(ここでは謡曲)がタブーとされるのかについても、はっきりとはわからない(柳田はいくつかの推測をしているが当たっているとは限らない)。
こうした点で禁忌が侵犯に先立つ「視るなのタブー」を語る説話とは異なる(というよりは、「視るな」という声が発せられたその時を描いた説話と考えてもよいかもしれない)。
こうした伝承の原型は、ある人がある場所で何かをしたら凶事が起きた、故に以後そうした行為(ここでは謡曲)を禁ずる、という形だったのではないかと思う。何が神々の意志に背くことなのか、あらかじめわかっているわけではない。たまたま誰かがそれをしたらよくないことが起きたので、それが語り継がれたのだろう。禁忌を犯したから云々という説明は、あとから付け加えられたと考えてよいのではないか。
禁忌を犯したから祟りがあった、のではなく、(人間の側からすれば)たまたまそれをしたら祟りがあったのでそれが禁忌になった、そういう話だと考えると、タブーの起源説話は、法措定的暴力の発現を語るものだと言えるだろう。