斎藤朴園が続従の妻

ある方よりお尋ねがあったので。
以下引用は、鈴木桃野『反古のうらがき』より。

友人斎藤朴園が続従の妻は、これも新たに寡にして、再び朴園に嫁せし也。様子がらもよろしく在に、按堵のおもひをなせしに、一日忽、吾に暇くれ候へと、せちにこひけり。固より留むべき辞もなければ、其意に任せて帰しけるが、跡にて聞けば、或夕暮庭より内に入しに、前の夫が座敷の内に居しとて、里付の婢に語りしよし。其後再び何方へか嫁せしよし也しが、此度は井に入て死せしよし。はたして狂気に疑ひなし。朴園も早く帰せし故、此禍を免れたりと語りあへり。

以下、意訳的私訳。

友人、斎藤朴園が後妻に迎えた女は、やはり最近連れ合いに先立たれており、朴園とは再婚同士ということになる。
なかなか感じのいい人で、朴園も安心していたが、ある日突然、思いつめた様子で「離縁してください」と言い出した。無理に引き留めるべき言葉も見当たらず、意のままに実家へ帰した。
ところが、後で聞けば、ある夕暮れ、彼女が庭から座敷に上がろうとしたところ、座敷に死んだはずの前夫がいたのだ、と実家からついてきた女中に語ったのだそうだ。
彼女は、その後、再び再婚したそうだが、ついに井戸に身を投げて死んだという。きっと精神の病であったに違いない。朴園は早々と離婚したお陰で、こうしたわざわいを免れたのだな、などと語り合ったものだ。

「様子がらもよろしく」は、おそらく武家の妻としての勤めを滞りなく果たしていて申し分ない、というような意味なのでしょうが、上手い言葉を思いつかずに「なかなか感じのいい人」としました。
「はたして狂気に疑ひなし」の「狂気」は、仮に「精神の病」としましたが、現代で言う精神病・神経症とはニュアンスが違うように思います。短い間とはいえ、生活をともにした女性が死んだ報せを聞いて、禍を免れてよかったというような感想の出てくるのは、やはり、「狂気」という語に尋常ならぬイメージ、例えば何か(死別した前夫の霊)に憑かれている、という意味合いも込められていると考えなければ理解しがたいものがあります。
だからこそ、彼女の死は、同情すべき不幸な事故ではなく、避けるべき不吉な禍(わざわい)として語られたのでしょう。もちろん、井戸に身を投げられると井戸が使えなくなるという身も蓋もない理由もあったでしょうが…。
それにしても、あっさりとした印象があるのは、この時代の結婚は(妾奉公もそうですが)、愛だの恋だのというよりも、生活のための仕事という性格も濃かったからだろうと思います。