左翼とは何か−やっぱり私にはわからない?「スイーツ(笑)」問題雑感

id:kuronekobousyuさんから下記のようなコメントをいただいて狼狽しています(困惑はしていません)。

どうも、です。「苺ショートケーキ」もあそうでした? 
ところでtさんは、ここのコメントを読んでいないかもしれませんが、tさんも書いている『不登校を選んだわけじゃないんだぜ!』(理論社)は、けっこう共感をもって読みましたよ。
しかし「サヨ」の問題に限っても、「少数派」や「真性の〜」とか言い出すと、神学論争になりますよね? これは「不登校問題」における<当事者とは誰か>という上山和樹さんの問題ともリンクするでしょうね?

不登校、選んだわけじゃないんだぜ! (よりみちパン!セ)』は読んでいますが、上山和樹さんという方は存じ上げないので、どうお応えしてよいのか考えあぐねました。
それに、上のコメントは、もしかすると、私に対してではなく、id:toledさんに向けてのことかもしれず、でも、それならtoledさんのブログに書き込まれればよいので、やっぱり私に向けてのことかもしれず…、どうしたものかと逡巡しました。
「しかし「サヨ」の問題に限っても、「少数派」や「真性の〜」とか言い出すと、神学論争になりますよね?」という文言は、私に向けてのような気もするので、いわゆる「ウヨ−サヨ」問題について、以下に感想を述べてみます。
私の見解は、至極シンプルなもの。
左翼、または左派とは、確かイギリス(本当はフランス)の議会の座席配分に由来する言葉だったと思うが、政権に対する批判勢力のことを意味する。「反体制」と言い換えても通じる。
従って、その主張は、その批判を言っている当人が、どのような体制内にあるか、また、何を批判の対象としているか、何を批判の根拠としているか、などによってさまざまに異なり、場合によっては180度違うこともある。
このように、左翼(左派)とは、そのときどきの政権、または政治体制に対する批判勢力を十把一絡げにして呼ぶ、はなはなだ大雑把な言葉なので、その場その場で便宜的に用いるしかない、というのが、私のはなはだ大雑把な見解。

やっぱり私にはわからない

ただ歴史的に、議会政治の行われている国々で、社会主義政党が野党であることが多かったので、左翼=社会主義的、という通念が成立した。
ときに「反体制右翼」という形容矛盾の言葉が使われるのも、この通念があるからだろう。
しかし、通念はあくまでも通念であって、そのときどきの政治状況において左翼または左派の主張は変わってくるし、また、同じ体制内にあって、政権への批判をしている人たちの間でも、さまざまな主張がある(右翼・右派も同じ)。
例えば、現在のロシアの共産党は、報道などで知るかぎり、スターリン社会主義への復古を主張するナショナリストの集団のように見えるが、あれは右派なのか左派なのか。現在の中国の反体制派はどうか。
ひるがえって日本についてはどうか。現在の政権の担い手は四代続けて総理大臣を出している清和会ということになるのだろうが、その政策の核心は対米追随である。そうすると、親米派が右翼で、反米派が左翼ということになるのではないかと思うのだが、そう言いきってしまうことに躊躇しない人は少ないのではないか。
現在の昭和憲法体制を、アメリカ型民主主義、またはアメリカに与えられた制度として定義するならば、親米派護憲派はことごとく右翼であり、憲法改正を主張する清和会は左翼ということになる(しかし、その清和会が対米追従方針なのだからややこしい)。
この点については、世間知らずで政治音痴の私よりも、研幾堂さんの言葉を引こう。
http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20070924

 では、その正体は?、その汎通的な本質は?、となると、やっぱり私にはわからない。それに、この両者は、私の感ずるところでは、根っこがそもそも一緒なのではないか、と思われるのである。ごく簡単に、両者の性格を描き出してみれば、右翼とは、戦後民主主義を否定する態度である。特に、昭和憲法による国体を価値有りと認めない態度である。そして、その否定され、否認されるものに替えて、何を是認するかと言えば、戦前の日本の国体であり、そこでの政治制度、社会システムである。他方、左翼は、右翼の否定し批判する戦後民主主義の諸々の主張、価値観を肯定し、それらが我々の社会に実現されることを目指す議論である。

 昭和憲法と、それによる戦後民主主義を対立軸とするのが、両者の差異を最も簡便に捉えさせてくれると思うのであるが、しかし、ことはもう少し面倒であって、明確に昭和憲法体制を否定する右翼は、長い間、ごく少数であって、政治家、官僚、学者、評論家、そしてジャーナリストなどによって構築される言論空間を、陽の当たるところとすれば、その裏にあるもの、あるいは日陰のものであった。公式的な言論の舞台には、大手を振って、登場しないものだったのである。九十年代後半からの、右翼的傾向の増大に、人々が驚いたのは、日陰的なものであったのが、陽の当たるところに進出して来たことであった。

 公式的な言論は、常に、戦後民主主義に即するとされるものであった。これに則り、これに従う態度と価値観、そして信条より、様々な問題把握、その分析、そしてその解決の提案は為されている、とされていたのである。戦後の言論は、総て、戦後民主主義の枠組みのものであって、保守と革新の対立や論争も、その土俵の上で行なわれるものであった。そして、この保守と革新の差異も、その真の契機は、見かけほどに明瞭ではない。とりあえずは、革新の側では、社会主義的な経済、政治、そして歴史の理論、あるいは思想に由来する主張が為される、としてみても、ある場合には、いや、多くの場合には、厳密な意味での社会主義体制が実現されるべきである、という姿勢が、革新的な論調の人々に見ることが出来ないのである。共産主義や人民社会主義は、先の右翼の如くここでも比較的少数であって、それらが主流となることは遂になかった。

研幾堂さんのいうように、右翼の主張の特徴は、親米にしろ反米にしろ明治国家への復古であるように見える。だが、その明治国家というものも、江戸時代末期にクーデターを企てた反体制派が政権奪取後に急進的な進歩主義的改革を実施したことによって出来上がったもので、佐幕派から見ればれっきとした左翼政権だろう。
そんな与太はともかくとして、昭和憲法体制への批判を射程に入れた左派の議論もあった。だが、現在、そうした主張が多数とは言えない。それもその通りだろう。
ついでにもう一つ与太を飛ばせば、上に引いた文章で研幾堂さんは「保守」と「革新」という言葉を使っているが、これは戦後日本政治の大まかな流れを懐古的に語っているからそうなるので、ここ数年「改革」は政権政党が声高に唱えてきた(「構造改革」ってイタリア共産党に由来する言葉じゃなかったっけ)。そして、かつて左翼と言われていた政党には「守旧派」というレッテルが貼られ、左翼(と目される)政党も「護憲」という実に保守的な看板を自ら掲げている。
こんなことはどれも言い古されたことばかりかもしれないが、本題はここからである。

本題

さて、さらに言い古されたことを言ってしまえば、結局、何を根拠に、どのような社会を目指したいか(あるいは、目指したくないか)、を明らかにしながらでなければ、政治の議論はレッテルのはりあいになってしまう。そういうことに私のような素人は気を付けなければならないということだ。
このことを前提に、私の政治的無関心の言い訳をさせてもらうと、現在の「ウヨ−サヨ論争」と呼ばれたりもする議論をわずかながらでも見聞する機会のたびに思うのだが…、ここはまた研幾堂さんの言葉を借りよう…、「では、その正体は?、その汎通的な本質は?、となると、やっぱり私にはわからない」。
せいぜいが、右翼と自認しているかどうかは別として「サヨ批判」を強くする人々の語調には、なにがしかの諦めと開き直りが感じられる場合もある、という程度である。それはなにかのかたちでの承認を社会に求める声なのかもしれない。だが、mojimojiさんが言っていたように承認は分配できない。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20071119/p1
仮に完全保障の理想的な社会主義国家があっとしても、愛は配給してくれない(国家はただ、国家を愛せよ、と求めるのみ)。
それができるのは宗教の領域だろう。
社会的マイノリティの権利をめぐって、承認の政治、あるいは、アイデンティティをめぐる政治、という議論があるらしいことは承知している。けれども、その枠組みを、日本でよくなされがちな世代論に適用してもほとんど意味をなさないだろう。
それはさておき、またもや、研幾堂さんを引けば、次のようなことは言えるだろう。

 一般に、社会構造の維持が、政治的にか、あるいはその他の仕方で、強固に為されている中で、その社会に住む人々に、何らかの深刻な問題が起きた時、その改善を訴える議論は、感情的な要素が多分に含まれるものになります。また、この構造の維持が、それが既往のものであれ、あるいは新たに構想されているものであれ、(この新たにとは、別の見方からすれば、改めて確認される、とか、あるいは、ある意味で明確なものにされるのを目指す、とも言えるでしょうか。)堅牢な政治的意図と共に行なわれるときは、先の感情的要素は、暴発的な様相を帯びることがあります。

 そして冷静な政治言論は、つまり、それが、問題とされる状況が真実に人々の生存なり正当な利益なりを損なうものであることに基づき、得るべき利益の実現を目指しての解決を提案するものであろうとするならば、この感情の強弱の程度に捕われずに、社会構造そのものの認識に立ち戻って、それに従って構築される政治的配分、あるいは経済的配当のあり方を検討し、そこでの修正を見い出して、望ましいあり方を実現することに勉めるものである、と私は思います。しかも、必要とあらば、社会構造そのものの検討にも、議論を差し及ぼすことを躊躇うものではない、とも思います。

 政治言論は、経済的な施策か、政治的な方策か、社会構造に即して、これらの解決索を見出すことを目標にするものです。これはあるいは社会構造そのものの変動を目指すことになるかもしれませんが、それでも、その場合には、私はここで各人は平等な権利を有するものであるという原則を持ち込みますが、(これは、各人がみんな同じ状態にあることを求めるのではありません。)各人が本来与えられるべきであり、また、有することが許されているものを、不当に損なうことのない社会が、そのあるべき姿として顧慮されるべきであると考えますし、それが可能であると信じております。そして、この目標を目指した行為として、政治言論は、固有の言論として存立するものであって、この目標を持たないでの言論は、つまり、あるべき社会を視野に収めた次元での考察を怠ってしまう政治言論は、しばしば、そこで解決策として提案されるものが、ある一部から、別の一部へ、既往の利益を移すだけに終わってしまうものとなります。

 誰かの窮状に、問題の告発が出発することは、そのこと自体に、何ら欠けるところがあると言われません。しかし、その告発が、どんなに政治的社会的言論の様子で言われていたとしても、その出発点に止まる限りならば、政治言論の行動とは、未だなり得ていないと言うべきです。また、政治言論たる本質を備えるべく、先の目標への行動として、それがどれだけ成り得ているものであるか、絶えず、検証と批判を受け続けねばなりません。そして、窮状の告発に対する対応として、問題の解決を考慮したとして、政治言論たる次元にたって、その解決策が見出されたのでないならば、それは、先の人の窮状の解消を目標にしたものというだけであって、しかも言ってみれば、それは、社会生活上の善意以上のものではあり得ません。

私は自分の長文読解力に自信がないのだが、政治に関する議論は、上の引用記事で研幾堂さんが言っているようなことを基本にしなければ、混乱は免れないことと思う。
基本にしなければ、というのは、研幾堂さんも指摘しているように、現実になされているところの政治を語る言葉には、感情的要素も含まれており、passionなしに「何らかの深刻な問題が起きた時、その改善を訴える」とか、「窮状の告発」とかがなされるとは思えないからである。
しかし、その解決はpassionによってはできず、actionによる他はない。そのactionとは、とりもなおさず「経済的な施策か、政治的な方策か、社会構造に即して、これらの解決索を見出すことを目標にする」政治言論である。

だから中立はあり得ない

自分でも堂々めぐりをしているのは自覚している。
ただ、ともかくもこの点を確認しながらでなければ何も言えないような気がしているからそうしている。
「政治言論は、経済的な施策か、政治的な方策か、社会構造に即して、これらの解決索を見出すことを目標にするもの」だとして、この観点から、最近華々しく新聞・雑誌などの論壇をにぎわしている政治評論のたぐいをざっとながめてみたところで、いったい、どれが政治的社会的言論の名に値するのか、これまた「やっぱり私にはわからない」。そのほとんどが感情的な言葉に満ちている。
しかも、付け加えておくが、中には「無感動」(徳としてのアパテイアではなくて情態としてのアパシーの方)という感情の在り方もあって、この感情に取り憑かれていることを自覚せずに、自らを冷静だの中立だのと思いこんでいる節のある議論もまま見受けられる。
だいたい、上に見たように、政治的な左右というのは便宜的なレッテルであり、人々が何を問題として、どのような解決を望ましいと考えるかは、右と左の二者択一で済ませられるようなものではないことは、私のような世間知らずにもわかることだ。
政治には、さまざまな立場や意見がある。これを右と左の二項目だけで分類しようというのは、大雑把を通り越して乱暴すぎる話だ。
だから、左右対立の構図は無効。
で、あるならば、左右対立の構図を想定して言われる「中立」も、現実にはあり得ないということになりはしないか。
ある政治的利害対立の中間地点は、別の対立の軸から見れば中間ではない。そういうケースは枚挙にいとまがないような気がする。
一見、バランスのとれた意見も、実はそれ以外のさまざまな要素を捨象するからバランスがとれているように見えるだけなのではないか。
かつては、何らかの政治団体に加盟したり、その掲げる理念なり政策なりに賛同したり、また、その主催する運動に関与したりしていなければ、政治的中立を保ち得るような気になれたものだったが、今やそれはできない相談になったのだ。団体や運動体に関わらない個人の意見が政治的立場の単位になり得るのだから。
私が高校生の頃は、今とは比較にならないくらいに野球の人気が高かった。その上、私の通った高校は野球部の活動が盛んなところで、男子生徒の中には、何かというと野球の話に結びつける人が何人もいた。そのほとんどが巨人ファンだった。
「例えばさ、長島と王と、どっちのタイプだと思う?」
「さあ、どっちもよく知らないからねえ」
「じゃあ、巨人と阪神とどっちが好き?」
「いや、どっちも」
「えーっ、じゃあ広島か中日?」
「いや」
「じゃあ、パ・リーグファンなんだ」
「いや、野球、とくに関心ないから」
「ウッソー」
というような会話を何度したことか。
攻守に分かれての野球の試合はわかりやすい図式だが、世界はそんな単純なゲームのようなものだろうか。
仮にそうだとしても、スポーツの種目には野球以外にもたくさんあるのに、それにスポーツ以外にも趣味の領域はたくさんあるのに、と思ったものだ。
このブログを始めてから、教育基本法改正問題が起こり、私ははっきりとそれに反対の立場を表明した。それに対して、お前は新左翼某党派のシンパになったらいい、というような決めつけをするコメントが入ったことがあった。
どうして、右か左かに、議論の相手をアイデンティファイさせようとするのか、さっぱり見当がつかない。
自らアイデンティファイする分にはその人の勝手だし、そうする以上は私にはわからない左右の違いがわかっているのだろうけれども、よく知りもしない他人についてレッテルを貼りたがるのは私以上に世間知らずで人付き合いに疎いのか。
妖怪学なんかを勉強すると、「かはたれどき」という言葉を習う。「彼は誰時」と書く。「黄昏時」というのも同じで「誰ぞ彼」という意味なのだという。
かつて、街灯もなかった時代の夕暮れ時、町はずれの道で人とすれ違うのは怖いことだった。相手は盗賊かもしれず、そもそも人間ではないかもしれない恐れがあったから互いに誰何しあったのだという。

だから黄昏に途を行く者が、互いに声を掛けるのは並の礼儀のみでなかった。言わば自分が化け物でないことを、証明する鑑札も同然であった。(『柳田国男全集〈6〉 (ちくま文庫)』、p20)

相手が何者だかわからないというのは怖いことなのである。その不安を払拭するために既存の図式の中に当てはめようとするのだろうか。そうだとすると、自分と政治的意見を異にする者=化け物、と見なしたも同然で、ずいぶんと想像力の足りない話だ。「やっぱり私にはわからない」。
まあ、こうした詮索はどうでもよいことだ。
疲れてきて、脱線がひどくなったので、この辺で。

追記

この問題には「苺ショートケーキ」の起源も微妙にからんでくるような気がしてきた。
気のせいかもしれないが…。

上記記事訂正(2008/1/12付け)

上の記事に間違いがあることに気付きましたので、訂正いたします。
左翼・左派という言葉の由来について、

左翼、または左派とは、確かイギリスの議会の座席配分に由来する言葉だったと思うが、政権に対する批判勢力のことを意味する。「反体制」と言い換えても通じる。

とありますが、これは私の記憶違いで、イギリスの議会ではなく、フランスの議会だそうです。
革命の頃の議会で議長席から見て左側に急進派のジャコバン派が座ったから、ということのようです。
全体の論旨には影響がないと思うので記事自体を撤回することはしませんが、フランスとイギリスを間違えていますので、その部分は訂正いたします。
かっこいい訂正の仕方を知らないので、(本当はフランス)と書き込んで訂正に替えます。
間違いに気付くのが遅くなってお恥ずかしい限りですが、ご了承ください。