日本ラブストーリー大賞攻略法

日本ラブストーリー大賞(宝島社主宰)の結果が発表されました。
http://japanlovestory.jp/info/win/
おおっ、中居真麻さんの『星屑ビーナス!』かあ、中居さん、とうとうやったね、おめでとうございます。
講評も絶賛じゃないですか。ああ、よかった。
あきらめずに努力した人が報われる、なんて、まるでクリスマスのお話みたいで、ちょっと感動しますね。あ、これは作品のことじゃなくて、中居さんご自身のことです。
さて、実は私はこの賞の一次選考と二次選考の選考委員(いわゆる下読み)を第二回から今回まで、五年間つとめてきました。
今年の二次選考会議の模様を同席した方がブログに書かれています。
http://youyounote.exblog.jp/15382845/
写真右端の、頭のてっぺんが少し薄くなりかけているのが私です。10円禿げが二つあるようにも見えます。
私、けっこう義理堅い方なので、こういう仕事を引き受けた以上、自分の文学的嗜好を知られない方がよいだろうと思い、このブログでも文学論はできるだけ禁欲してきました。
五年で一区切りと言いますし、今回でもうお払い箱だろうと思われますので、これからは言いたい放題。
その手始めに、お世話になった事務局の方のご内諾も得て、日本ラブストーリー大賞選考委員をつとめた経験から、思いついたことを書いておこうかと思います。
日本ラブストーリー大賞攻略法、と題したのは、もちろんシャレです。真に受けないように。
初めにお断りしておきますが、こういう仕事に当然期待される守秘義務というものに私は忠実な方ですので、各作品についての具体的な評価は何も言いません。そもそも、審査時にお預かりした応募作のコピーなどはすべて宝島社さんに返却しましたし、私はかなり物忘れのひどい方なので、現実問題として何も言えないのです。

どんな人が選んでいるのか

どの文学賞でもおそらく同じだろうと思いますが、最終選考委員には高名な先生方が名を連ねていても、それ以前の、何百とある応募原稿の山に挑むのは、下読みともいわれる選考委員です。たいていはフリーの編集者かライターです。そのほか、シナリオライター、コラムニスト、デザイナー、コピーライターといった方々でしょうか。いずれにせよ、何らかの形で本とかかわる仕事をしている人がほとんどです。日本ラブストーリー大賞の場合の男女比は、女性の方が多い。これは読者層を考慮してのことでしょう。

ハードルは高い

新人賞選考のハードルは、出版社に原稿を持ち込む(送り付ける)場合よりも高いものです。
なんといっても賞金の額が高い。日本ラブストーリー大賞の場合、500万円です。本が売れないこのご時世で、1冊の本の原稿料でこれだけもらえることは滅多にありません。それだけの期待ができる作品にしか賞は与えられないということです。

審査は意外(?)に公正

実は、宝島社さんの新人賞選考の仕事をお引き受けしたとき、これで文学賞の裏側のドロドロとした暗部を垣間見られるかもしれない、とちょっと期待していたことは事実です。
選考会議で他の委員が推している作品に強硬に反対論を唱えたら、事務局の方から「これでよしなに」と茶封筒をそっと握らされたり、それでも態度を変えなかったら、裏に呼ばれて「広坂さん、もう少し大人になろうよ」と、いかつい方々に取り囲まれて大人になるレッスンを受けたり、といったことがあるのかな、と期待、いや、妄想に胸をふくらませていました。
結果から言うと、期待はずれでした。
とにかく応募作が多くて、それに反比例して事務局スタッフ(宝島社さん側の編集者)は少ない。裏工作なんかやっている余裕がない。
ときどき、スケジュールが不自然に遅れるとか事務局から急な依頼があるとか、あれっ?と思うことがあっても、真相は、過労でスタッフが倒れたとか、選考委員某氏が他の仕事とバッティングして泣きが入ったとか、そういう涙ぐましい話だったりしました。
ただし、外部から見たら、あれっ?と思われることはあるだろうな、ということはあります。この日本ラブストーリー大賞はリピーターが多い。今回の二次審査でもお二方、かつて最終審査まで残った方が混じっていました。
えこひいきがあるのではないかと勘繰られる方がいるかもしれませんが、そういうことはありません。もちろん、何回も二次審査に残るほどの書き手は覚えています。作品を拝読すれば、おっ、今度はこういうのを書いてきたか、とは思いますが、それで評価が甘くなることはありません。むしろ、前回応募作よりもレベルアップしていないと辛口の評価がつくことになります。
ちなみに、今回大賞受賞の中居真麻さん、毎回趣向の違う力作を応募されて、その是非で選考委員会はいつも紛糾。ついには選考委員会の秘蔵っ子というニックネームまでつけられた方ですが、私どもはお会いしたことはありません。出来レースどころか、「最終選考に二度」残りながらも六回目の今回でようやく受賞ということは、私ども選考委員はこれまで一次二次で何度も落としているわけです。今回も議論は二転三転、迷いに迷っての二次選考通過でした。えこひいきならそんなに手間はかけませんし、手間をかけさせません。

一次選考は玉石混淆

一次選考で読ませていただく作品は、精魂傾けて執筆された方々にはまことに失礼ながら、正直言って玉石混淆です。一次選考における通過作品と落選作品の差は、たいていの場合、歴然としています。落選作品には、ストーリー、構成、文章表現、テーマ、人物像、背景設定(いわゆる世界観)など、作品を成り立たせている要素のいずれかの点で決定的なミスがあからさまにあるものです。これは重箱の隅をつつくようなあら探しをするまでもなくわかります。
もちろん担当者によっては、ストーリー重視、文章表現重視、など、チェックポイントの優先順位に偏差があるのも事実です。しかし、結果としては妥当な選択をするものです。ストーリー重視の選者でも、ストーリーは面白いけれども文章が下手だなあという場合、ストーリーの面白さが文章表現のつたなさを補ってあまりある場合でなければ通過とはしないでしょうし、文章表現重視の選者でも、いくら名文で書かれていてもストーリーがつまらなければ通過とはしないでしょう。
それでも絞りに絞った段階でなお迷うということはあります。日本ラブストーリー大賞の場合、一次選考でギリギリのところで迷ったものについては「あと一歩の作品」としてエールを送る仕組みがあります。二次選考や最終選考で落ちたものでも、特筆すべき長所が認められるものは主催者の判断で単行本化する場合もあります(ただしこれに選考委員は関与しませんが)。
何度も応募しているのに一次選考のハードルを越えられないという方は、自分の書き方を見直した方がいいでしょう。書くことをいったんやめて、他人の書いた小説を読むことをお奨めします。文学史上に残る名作でもいいし、最近のベストセラーでもいい。とにかくプロの書いたもので高い評価が定着しているものをたくさん読んでみてください。
以下、思いつくままに、べからず集を書きだしておきます。

バカにするな

純文学とエンタテイメントの境界があいまいになってしばらく経ちますし、個人的には両者を分ける意味もあまりないように思いますが、この日本ラブストーリー大賞の対象となる「恋愛小説」というジャンルは、どちらかというとエンタテイメント寄りであることは間違いないでしょう。
要するに、ほれたはれた、ですよ。片思いを含めれば多く人が経験したことです。それを面白おかしく書けば五百万円もらえる。そういう美味い話です。
でも、そんな簡単なことと思ってバカにしたら大間違い。恋愛は多くの人が経験している。多くの人が知っていることを面白く書くのはたいへん難しいことです。だいたい、人間の好奇心というものは、知らなかったことを知ったときに満足するものです。恋愛小説は、既に広く知られている話題を持ち出して他人様の関心をひこうというのだから、生半可な工夫では成功しません。

盗作はばれる

パロディや引用は結構ですが、盗作はいけません。ギリシア神話や『源氏物語』にヒントを得て、とか、『三国志』やシャーロック・ホームズシリーズの設定を借りて、というのはかまわないのです。実際、漱石『こころ』や鴎外『舞姫』を意識した作品はよく見かけました。『忠臣蔵』だって実話に取材しただけではなく『太平記』の枠組みを借りていますし、その『忠臣蔵』の設定を背景に転用したのが『東海道四谷怪談』です。シェイクスピアから影響を受けた後世の作品がどれだけ多いかに至っては例を挙げるまでもないでしょう。
先行作品を参考にするのは全然問題ない。解釈にオリジナリティがあり、作品として成功していれば。
しかし、盗作となると話は別です。複数の人間が目を通すので、選考のいずれかの段階でたいていばれます。私の経験でも、あまりに出来がよかったので物語の時代背景を確認しようと関連資料に目を通してみたら、ストーリーやせりふ、情景描写の文章まで、ある名作と九割がた同じであると判明したことがありました。
なお、文体などの無意識の模倣という場合は盗作にはあたりませんが、評価は下がります(二年前、僕がよく見かけたのは村上春樹調のものだった、やれやれ)。読者への効果を狙った自覚的な模倣は、期待通りの効果が上がっているかが判定の決め手となります。

傑作でも落ちる

どの文学賞でも、その賞が期待しているテーマやジャンルというものがあります。
日本ラブストーリー大賞は、恋愛小説を対象とした新人文学賞です。ジャンルは問わないことになっています。恋愛小説と言えば青春小説が王道ですが、推理、SF、歴史、ファンタジー、なんでもありです。
ただし、メインテーマはあくまでも「恋愛」です。ここをはずしたものは、どんな傑作でも落ちます。これまでも重厚な時代小説、あっと驚くどんでん返しのミステリ、風刺のきいた未来小説、鬼気迫るサスペンス、などなどが、物語中の恋愛の要素が薄すぎるということで落選してきました。選考会議ではこんな会話がなされます。「面白いのですけれどね…」、「応募先を間違えてますね」。
もちろん、恋愛と言っても、成人男女のドラマに限られません。登場人物のセクシュアリティも年齢も問うていません。極端なことを言えばキャラクターは人間でなくても結構。恋愛の甘さ、切なさ、苦さ、ときめき、苦しみ、悲しみ、喜び、迷い、そういうものが伝わる作品であれば、高く評価されます。

書き出しよりも結末

小説にとって、書き出しは重要です。冒頭のシーンが魅力的であれば、読者は作品に引き込まれることでしょう。書き手にとっても、よい書き出しが思いつけば筆がのることでしょう。
しかし、審査の過程では必ずしもそうではないのです。書き出しがつまらなかったらボツ決定で後はもう読まないということはありません。お預かりしたすべての作品は最後まで目を通します。一次二次の選考委員のほとんどは編集者かライターです。書き出しがダメなら書きなおせばよいと考えています。
むしろ、問題は結末です。前半は面白かったのだけれども、結末がこれじゃお話にならない、ということで選に漏れた作品はたくさんあります。
結末は、それまでの物語の流れを受けとめ、締めくくるものですから、これは容易に変えられません。ここが知恵の絞りどころです。
結末を考える際に気をつけた方がいいことが二つあります。第一に、竜頭蛇尾。物語前半で大きくふくらませた話が、クライマックスから結末にかけてやせ細ってしまうようでは読者にガッカリ感をあたえます。竜頭蛇尾よりは蛇足の方がまだまし。蛇足ならカットしてしまえばいいわけですから。
もう一つは、どんでん返しの失敗。読者をアッ!と驚かせるはずの仕掛けも、奇をてらいすぎて、それまでのストーリーで張っておいた伏線との整合性を欠いたりすると、読者がアレレ?とずっこける残念な結果になりかねません。

作者・語り手・作中人物

整合性ということで、もう一つ気になることを思い出しました。作者・語り手・主人公、この三者の関係が整理できていない作品は、たいてい落選します。
この三者の関係がすべてイコールの場合は自伝、または私小説です。書かれている内容が虚構であっても、そういうことになります。
しかし、小説とはそういうものばかりではありません。例えば、シャーロック・ホームズシリーズの場合、語り手のワトソンは、医師であることなど、作者コナン・ドイルの経験を下敷きに造形されているのでしょうが、ドイル自身とは言えないでしょう。そして、主人公はあくまでもホームズです。当然ですが、ポーのデュパン物でもそうです。
逆に、形式上、作中に語り手が登場せず、三人称で語られる場合でも、物語が常に主人公視点で描かれている場合も多くあります。これは事実上、語り手=作中人物です。
このように、作者・語り手・主人公の関係にはいろいろなケースがあるわけですが、物語の中でこの関係が混乱している作品は、効果を狙ってあえてする場合は別ですが、そうでなければ、自分の恋愛の失敗談を友達のこととして話しているうちに思わず本音が出ちゃった、みたいな、格好の悪いことになります。選考過程ではこれはマイナスの評価を受けます。
ドストエフスキー『悪霊』のように、形式上は作中に語り手を登場させているのに、実質的には各場面の主たる登場人物の視点で物語が描かれているケースもありますが、あれはああいう文豪だから許されることで、ふつうは一貫性がないと批評されることになります。
他にクリスティ『そして誰もいなくなった』や、アゴタ・クリストフ悪童日記』のように、作者・語り手・主人公の関係にひねりを加えて効果をあげている作品もありますが、高い技巧が要求される離れ業です。
クロバットに挑戦する前に、まずは誰が誰のことをいかなる立場で語っているのか、しっかりと整理しておいた方が無難です。

誤字脱字など

誤字脱字、誤変換、助詞「てにをは」の混乱などは文章につきものです。あまりナーバスになる必要はありませんが、やはりないに越したことはありません。文章の一部に誤りがあるというだけで落とすことはないのですが、誤字脱字が目立つようなずさんな文章が続くと、選考委員の心証は確実に悪くなります。投稿する前に読み返してチェックしておくことをお勧めします。
本音を言うと、最近、ちょっと目に余る応募原稿が多かったんです。原稿用紙一枚に一カ所くらいならご愛嬌で、数行おきに一つとか、これでは表現の善し悪しを論じる前に、辞書を引け!と言いたくなってしまう。
特に気をつけていただきたいのが、熟語や慣用句の誤用。ことわざや故事成句を含めて慣用句というものは、慣用であるから表現として意味があるのです。キャラ設定などによる必然性もなく、我流の使用が度を越して多い場合、この書き手は自分の書いていることがわかっているのだろうか?と疑われてしまいます。
また、ワープロの辞書機能に頼り切ったような難読漢字のあて字も、歴史小説や宗教をモチーフにしている場合などのように作中の必然性があれば別ですが、たいていはひんしゅくを買います。
小説は言葉で作られるものです。小説の言葉は必ずしも美文・名文でなくてもよいし(大江健三郎のような悪文の魅力というのもありますから)、文法の教科書的な正しい文章でなくてもかまいませんが、読者に伝わる文章を書くように心がけていただきたいと願います。

二次選考のハードル

一次選考と二次選考では、作品の読み方が違います。
一次選考では、玉石混淆の山の中から賞の求めるもの、磨けば光りそうなものを拾い出すことにポイントを置きます。簡単に言えば加点式の採点に似ています。
二次選考で拝読するものは、すでに一度選考を経た作品ばかりですから、どれもそれなりに面白い。しかし、その中から五点に絞り込まなければならない。そうすると、いきおい減点式の評価、ひらたく言えば、あらさがしをしながら読むことになります。
また、二次選考の対象作品は、どれもある程度までのレベルに達したものばかりですから、そのなかから五作を選ぶとなると、選考委員の文学的嗜好も多少は影響してきます。
そこで、個人的な文学的嗜好で評価が左右されないように、二次選考では複数の選考委員による会議を設け、合議制で決められます。
この二次選考会議では、私個人としてはよい作品だと思っていても、他の選考委員の方から私が見逃していた欠点を指摘されて目からうろこがおちたことも何度か。逆に、私には欠点と思える点が読み手によっては大きな魅力となるのだということも知りました。自分とは違う視点で読んでいる人と議論することで作品への理解が深まり、評価が大きく変わることもありました。文学青年だった学生時代にかえったような気分になり、たいへん楽しい経験をしました。
さて、この二次選考会議を突破しないと、著名な先生方による最終選考には行きつけないわけですが、その秘策というのはちょっと思い当たりません。
これまで挙げてきたことは要約すると次のようなことでした。

  • オリジナリティのある小説であること。
  • 広い意味での恋愛を主たるテーマとしていること。
  • ストーリーが完結していて、構成に大きな破たんがないこと。
  • 読者に伝わる文章で書かれていること。

これらがクリアされているだけなら、運よく一次で落選せずにすんでも、二次選考のハードルは越えられません。
では、どうしたらよいか。もう一度、考えてみたのですが、やっぱり思いつきません。
ただ、自分の経験から、次のようなことは言えると思います。
読者を感動させる作品が残る。
二次選考を通過した作品は、何十篇もの恋愛小説を集中的に読んできた選考委員の感情を揺さぶったものだということです。
面白い場面では声をあげて笑い、悲しい場面ではあられもなく涙を流し、恐ろしい場面ではゾッと身の毛がよだち、優しい場面では心が暖まる、そして、その言動がたとえ世間の良識の枠からはみ出ていても、なんだか共感してしまえる登場人物がいる、そんな説得力のある作品が選ばれます。
なお、最終選考で大賞を受賞するにはどうしたらいいかというと…、それがわかっていれば自分で書きます。

追記

以上、ささやかな経験から、もしやどなたかの参考にしていただけるかもしれないと思うことを書き出しました。
上記記事へのご質問をいただいても答えられないこともありますことを、あらかじめご了承ください。