古代中国の復古主義

復古を唱えるとは、現代を批判するための視座を確保するためで、字義通りに何もかも昔に還れという人はよほどの変人であって、そうした主張が世間に受け容れられることはない。
多少なりとも評判をとっている復古主義は、それが多くの人々の現代に対する不満を代弁するところがあるからこそ世間も受け容れるのである。
だから、復古の名のもとに行われる運動は、事実上は革新である。ルネサンス明治維新もそうであった。
孔子の生きた時代といえば、私たちからはずいぶん遠い昔に感じられるが、その時代にもやはりさらに遠い昔を懐かしむ復古主義はあって、ほかならぬ孔子にその傾向があったようだ。
孔子よりもやや遅れて活躍した墨子もまた復古主義を唱えた。もちろん、孔子にとっても墨子にとっても、伝説上の過去の政治を理想化して語ることは、彼らにとっての現代の政治を批判するための批判原理としてでもあった。
論語』や『墨子』には、孔子墨子が世間から誤解されたり、その主張が容易に受け容れられなかったりするエピソードがある。それらは、孔子墨子の唱える復古が同時代への痛烈な批判でもあったことを示している。
しかし、彼らの思想は単なるアナクロニズムではなかった。孔子墨子の活動は、復古を掲げながらも、その内実は政治的実践を伴う社会革新運動であったことが『論語』や『墨子』からは読みとれる。
やがて秩序の回復を唱える儒家と平和主義を唱える墨家は、戦乱に倦み疲れた人々の共感と支持を集めることになった。後に韓非子が「世の顕学は儒墨なり」と書いているから先秦時代にはそれぞれの学派の勢力や強大だったろうことは想像に難くない。
だから、現代を批判するための視点を理想化された過去に託すという理屈は、必ずしも奇矯なものではない。
しかし、復古主義になんの問題もないかといえば、やはりそうは問屋が卸さないのであって、孔子墨子復古主義にもすでに韓非子による批判がある。そして私見を言えば、復古主義批判の要点は紀元前になされた韓非子の批判で尽きているよう思われる。

愚に非ざれば則ち誣なり

韓非子による儒家墨家復古主義への本質的な批判は『韓非子』「顕学」編にある。
現代語訳だと長すぎるので岩波文庫版「韓非子〈第4冊〉 (岩波文庫)」の金谷治氏による読み下し文で引用する。

故に孔・墨の後、儒は分かれて八と為り、墨は離れて三と為る。取舎相反して同じからざるに、而も皆な自ら真の孔・墨と謂う。孔・墨復たは生くべからず、将た誰にか世の学を定めしめんや。孔子墨子、倶に尭・舜を道う、而して取舎同じからず。皆な自ら真の尭・舜と謂う。尭・舜復たは生きず、将た誰にか儒・墨の誠を定めしめんや。殷・周は七百余歳、虞・夏は二千余歳にして、儒・墨の真を定むること能わず。今乃ち尭・舜の道を三千歳の前に審らかにせんと欲す。意うに其れ必すべからざるか。参験無くしてこれを必する者は、愚なり。必する能わざるにこれに拠る者は、誣なり。故に明らかに先王に拠り、必ず尭・舜を定むる者は、愚に非ざれば則ち誣なり。愚誣の学、雑反の行は、明主は受けざるなり。(岩波文庫版『韓非子』第四冊、p212)

孔子墨子の死後、それぞれの弟子たちは分裂し、互いに自分こそは先生の正統だと言い争っているが、孔子墨子が生き返らない以上、誰がその正統性を判断できるのか、と韓非子は問う。いわゆる本家争いである。これは儒家墨家だけのことではない。私たちにとっての現代においても、ほとんどの学問や宗教、芸術、政治、そして商売の世界で行われていることだろう。
私だって同業者のなかでは吹けば飛ぶような若輩なので、空威張りしたいときは、独立前にほんの一時期仕えた同業の大先輩のお名前を出したりすることがある。私事はともかくとして、本家争いに参入するいちばん楽な方法は、なにも平田篤胤に当てつけるわけではないが「没後の門人」を名乗ってしまうことである。
孟子荀子孔子没後の門人であり、学祖がとっくの昔に死んでいることをよいことに自分こそは先生の真意を理解した、と主張することで自分の学問を築いている。
その孔子墨子にしても、自分こそは古代の聖王である尭・舜の政治の正統な後継者だと主張しているが、その内容は大きく違う。尭・舜が生き返らない以上、その正統性を判定できない。尭・舜によるすぐれた統治、というのは、孔子墨子の時代においてすらすでに何百年、何千年も前にあったと言い伝えられるようなもので、具体的なことはよくわからないことが多かったのだ。
これは歴史学・考古学が発展すれば解決できるとかできないとか、そういう類の問題ではない。ある特定の過去の時代や人物を自らの規範としてみなすことは、すでに解釈であり、なんらかの恣意性を免れないことを韓非子は指摘しているのだと思う(もちろんこの韓非子の文をそう読むことも私の解釈である)。
現代でも、マルクス没後の門人はさすがに減ったろうが、フロイトウェーバーフッサールの没後の門人には事欠かない。これからはデリダの没後の門人も増えることだろう。
没後の門人作戦それ自体は、別に非難されるべき事柄ではない。日本仏教の各宗派の祖師たちなどは、ことごとく釈迦没後の門人なのであって、釈迦の教えを自分たちが直面している状況と照らし合わせて拡大解釈することで独自の境地を切り開いている。
ただ、その解釈の正統性を、解釈の対象(マルクスなりフロイトなり、あるいはウェーバーフッサールデリダや釈迦や、孔子墨子や、尭舜の治の伝承)に由来するものと強弁するのは無理があるだろう(「意うに其れ必すべからざるか。」)、と韓非子は言う。
この私はこの文献を(私の責任において)こう解釈した、あるいは、この私はこの歴史的事件を(私の視点から)こう意味づけた、と言うのならともかく、過去の時代について史実かどうか確認もせずにこうだったと決めつけるのはバカであり、確認できない事柄であることを承知のうえでそれを根拠に語るものは嘘つきである、と韓非子の舌鋒は鋭い。
韓非子にしてみれば、復古主義者とはバカか嘘つきのいずれかなのである(「愚に非ざれば則ち誣なり」)。