ハーン「雪女」の謎1

ハーン(小泉八雲)の「雪女」は、当然のことながらラフカディオ・ハーンという文学者による怪奇文学である。しかし、日本を舞台にしたハーンの怪奇文学は、明治の頃までに伝えられていた日本の怪奇民話や怪奇文学を彼(と妻・小泉節子)が再話したものであり、その原典もほとんどが研究者によって探り当てられている(小泉八雲『怪談・奇談』講談社学術文庫の「原拠」参照)。ところが、おそらく英語の教科書教材として取り上げられたためもあって『むじな』と並んで有名な「雪女」の原典はまだ見つかっていない。ここにちょっとした謎がある。

怪談・奇談 (講談社学術文庫)

怪談・奇談 (講談社学術文庫)

「雪女」は、話の雰囲気からすれば東北地方の山村に伝えられていた怪奇民話のような印象を受けるが、その書き出しには武蔵の国の話だとあるから、現在の東京都か埼玉県である。ハーンが別のところで述べたことによれば、西多摩郡調布村(現在の東京都青梅市)の出身者から聞いた話とされている。つまり雪女が姿を現した小屋は多摩川べりにあったということだ。近年、青梅市では郷土史家らが音頭をとって、雪女で町興しをという運動が起こり、雪女にちなんだイベントが催されたりしている。
東京都とはいっても奥多摩の山々が近くに見える青梅市は、雪が降るとかなり積もるらしいが、それでもあのハーン「雪女」の故郷が青梅市だというのはちょっと意外な感じもする。
それではハーンにこの話を伝えた調布村の村人はどこかで他の地方の民話を聞き覚えていたのだろうか。これはありそうにない。というのも、いくつかの民話集、伝説集にあたってみればすぐにわかることだが、各地に伝わる雪女の話はハーンが書いたものとは筋立てが全然違う。千葉幹夫『全国妖怪事典』のユキオンナ、ユキオナゴ、ユキジョロウの項からいくつかを抜粋してみる。

ユキオンナ 家にくる怪。西津軽郡の「雪女」は正月元日に来て卯の日に帰るという。雪女のいるあいだは一日に三十三石の稲の花がしぼむ。それで卯の日の遅い年は作が悪いという。美しい女の顔をし、子を抱いて出る。人が近寄ると子を預かってくれという。預かると女は消えるが、子は天までもとどくほど大きくなる。だが預からないと殺される。昔、弘前の侍が口に短刀をくわえ、子の頭に刃先が触れるようにして抱いたところ子は成長しなかったという。それゆえ女性の場合は櫛を口にくわえ簪を子の頭に掲げて抱くのだという。五所川原では手巾を口にくわえ、一方を長くたらして抱いた上、返礼として雪女の乳房をすってやったところ、大力を得たという(内田邦彦『津軽口碑集』)。
ユキオナゴ 雪の怪。西山の奥で木樵十人ほどで小屋掛けして働いていると、夜中にやって来た。白い着物を着て、雪のように白い顔でえごえごと入り口の薦を上げて笑いかける。すると、男たちは、吸い込まれるように、その後について出ていってしまう。明け方、男は腑抜けになって帰ってくる。ユキオナゴと契った男は一生精を失うという(菊地敬一「陸中の妖怪」季刊『自然と文化』84年秋季号)。
ユキオンナ 雪の怪。雪女。山形との境、面白山峠付近でマタギが会ったという。峠の暗い夜道で二〇メートル前方に人を見たそのマタギの父は「話を交わすな、顔も見るな」といった。こわごわと袖の下からのぞくと赤い縞模様らしい着物をつけた、顔の白い女だった。家に帰ってから父は「あれは雪女で言葉を交わすと食い殺される」といった(毛利総一郎・只野淳『仙台マタギ鹿狩りの話』)。
ユキオンナ 雪の怪。雪女。出会った人に子を預かってくれと頼む。うっかり預かるとその子の重みで雪に埋もれてしまう。子は雪の塊なのだという(日野巌『動物妖怪談譚』)。顔がのっぺりしていて目鼻立ちがはっきりしない。若く美しい雪女に出会うと命を取られるという(藤沢衛彦『日本民俗学全集』三)。
ユキジョロウ 雪の怪。雪女郎。産女のように人に怪力を授けるとか、赤子を抱ききれなかった男を殺すという。人間の子を食うとか、さらって雪女の子に食わせるなどともいう(佐藤義則『小国郷夜話』)。

以上、千葉、前掲書より抜粋。

全国妖怪事典 (小学館ライブラリー)

全国妖怪事典 (小学館ライブラリー)

雪女という妖怪(雪の精霊による怪)はいた。少なくともそう信じられていた。けれども彼女らと人間の交渉は、雪女が人間を凍死させるか、食い殺すか、まれに子を抱いてやると力を授けるかであって、人間の妻となって子まで産んだというケースはハーンの「雪女」以外にはほとんどない。
 もっとも、ハーンの作品に似た筋立ての雪女伝説はないことはないのだが、今野圓輔氏の『日本怪談集 妖怪編』(社会思想社、絶版)に次のような指摘があることを念頭に置こう。

雪女の新聞切抜資料を読んでいると、地方版に郷土の伝説とか昔話として地元の執筆者が書いたものに、ハーンの「雪おんな」そっくりそのまま、登場人物も茂作、巳之吉、お雪というのが少なくとも三件もあった。明白な原作者が忘れられてしまい、話だけが伝わり語られつづけているあいだにまるで土着してしまって、某地に伝承された世間噺、伝説あるいは昔話ふうに取りまぎれてしまう場合も想定されるのである。

先に、よく似た物語は同じ物語とみなしてよいのか、と疑問を呈したが、同じ物語はやはり同じ物語である。筋立てだけでなく登場人物名までも同じであるならば、表現の細部に違いはあったとしても、それは原話を再話する際に変形されたバリエーションとみなさざるを得ない。するとハーンの作品は純然たる創作怪談だったのだろうか。
しかし、そうだとするならハーンは西多摩郡調布村などという地名まで出して情報提供者を捏造したことになる。文学者であるハーンがそのような小細工をする必要がどこにあったのだろうか。また、なぜ外国人の作った物語を自分の村の昔話だと信ずる日本人が多数出るほどになったのか。
もちろん、ハーンが己の日本研究の成果を試すために仕組んだ一世一代の虚構だったという仮説もありえるだろうが、伝記などから伝えられるハーンの人柄や、妻・節子と共同でなされた怪談の収集・再話の方法からして、私にはこの「雪女」がハーンの独創によるフィクションだったとは考えられない。
実際、ハーンの再話した怪談とその原典を比べてみると、彼は文章を美しく整えたり、誇張や省略をしたりすることはあっても、物語そのものを創り出すことはしていない。