ジェンダーフリーについての誤解の仕方

私は一介の恐妻家であってフェミニストではありませんが、大学教授だの国会議員だのといった権威を隠れ蓑に、「ジェンダーフリー」という言葉についての自分の誤解や妄想を世間に押しつけようという動きが公然となされていることにつねづね苦々しく思っていました。
ちなみに「ジェンダーフリー」という用語は、もともとアメリカのある学者(B・ヒューストン氏)が言いだしたときは現在の日本で慣用されているような意味ではなかったとする議論もあり、その限りではそうなのでしょうが、それを言うならそもそも「ジェンダー」という用語がイリイチ(イリッチ)によって提唱された当初のニュアンスも今とは違っていました。こんな例はほかのジャンルでもいくらもあることでしょう。最初の提唱者の意図はそれなりに尊重されるべきでしょうが、なにがなんでもそれに忠実でなければならないとしたら、ずいぶん堅苦しい話です。ジェンダーフリーという言葉は、性別役割分業にとらわれないことというほどの意味の和製英語として、すでに通用しているのだから、目くじらを立てるほどのことはないと思います。
ジェンダーフリーについての誤解と妄想を解く試みは、すでにid:seijotopさんによってなされているので、以下を参照してください。

「ジェンダーフリーとは」

ジェンダーフリーサヨク陰謀論

さて、本日は私の「愛読書」である『反「人権」宣言』の最終章「「人権」が女性を不幸にする」を読み返していたら面白いことに気づいたので、以下に書き出しておきます。
この章で著者の八木氏は「一般にはあまり認識されていないが、女性解放論としてのフェミニズムは本来、社会主義共産主義の思想的文脈の中に位置づけられるものである」として(p167)、ジェンダーフリーサヨク陰謀論を展開するのだが、J・S・ミルの『女性の解放』やボーヴォワールの『第二の性』やベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』が「社会主義共産主義の思想的文脈の中に位置づけられる」とはどうしても思えないので困ってしまう。
だいいちに、フェミニズムは一枚岩的なイデオロギーではないし、ジェンダー論も各論者によってさまざまに論じられており「ジェンダー」という概念を重視するという以外に共通点はない。こんな程度のことは専門家ならずとも、一般向けの概説書を数冊読めば簡単にわかることだ。
憲法学と思想史の研究者がどうしてこんな思い違いをするのか、不思議でならなかったが、つらつら読み返してみると、私は実に簡単なことを見落としていたことに気がついた。謎を解くカギは最終章「「人権」が女性を不幸にする」の冒頭の一頁に込められていたのである。
このことがわかってしまうと、「世の中には不思議なことなどなにもないのだよ」と京極堂に言われたような気分である。
まず、著者は「フェミニズムとはブルジョワ的私有が廃止され、共産主義社会が実現してはじめて女性差別はなくなり、女性が真に解放されるとする立場にほかならない」と定義する。確かにフェミニズムの中にはそう唱える論者もいるだろうが現在では少数派だろうし、現在のマルクス主義フェミニズムが、いわゆる社会主義共産主義の思想とは異なることは上記サイトでも説明されている。
つまり著者は、フェミニズムのごく一部の主張をもってフェミニズム全体を代表させている。これは八木氏が憲法学者だからといって、同氏の主張をもって憲法学全体を代表させるようなものであって、はなはだ無理がある。どうしてこんなことが起きたのか。
八木氏は「以下、フェミニズムの主張をマルクス主義の思想的文脈に沿いながら明らかにしてみたい」として「マルクス主義の女性解放論」を叙述していくのだが、それに当たって次のような但し書きが付けられている。

〔この問題については安藤紀典氏の優れた論文「マルクス主義の女性解放論」(大原紀美子・塩原早苗・安藤紀典『女性解放と現代 マルクス主義女性解放論』三一新書、一九七二年所収)を参照。なお引用も多くは安藤論文の訳に従った〕。(八木、前掲書、p167)

八木氏がどうしてフェミニズムジェンダー論を社会主義共産主義の文脈でしか理解しようとしないのかは、この但し書きがすべてを物語っている。
このあとp179までおよそ11頁にわたって、マルクスエンゲルスレーニン、コロンタイの女性解放論についての記述が続くのだが、要するにそれらは一九七二年に公刊された安藤論文の要約なのである。
11頁というのは少なくない分量だと思うし、引用文の孫引きというのも学者としてはどうかと思うが、問題はそういうことではない。
八木氏が「フェミニズムは本来、社会主義共産主義の思想的文脈の中に位置づけられる」と主張するに当たって、水田珠枝『男性VS.女性』(岩波ジュニア新書)をのぞくと、もっぱら『女性解放と現代 マルクス主義女性解放論』所収の「マルクス主義の女性解放論」に依拠しているということである。
なお、八木氏はとってつけたように「「ジェンダー・フリー」を提唱したのはフランスの唯物論的(すなわち共産主義的)フェミニスト学者クリスティーヌ・デルフィである」(p183)と書いているが、フランス人であるデルフィ自身が「ジェンダー・フリー」という英語的表現を使った文献は示されておらず、かわりに「「ジェンダー・フリー」の提唱者はクリスティーヌ・デルフィだ」という「指摘」に関連してグルー『フェミニズムの歴史』という概説書が挙げられているのみである(p192)。
ここには二つの問題がある。
第一に、八木氏がもっぱら依拠している「マルクス主義の女性解放論」は、その論文のタイトルからしても、またそれが収録された単行本『女性解放と現代 マルクス主義女性解放論』のタイトルからしても、マルクス主義という特定の立場からの女性解放論であることは誰の目にも明かだろう。はたしてマルクス主義女性解放論を基準にして、フェミニズム一般、ジェンダー論一般を論じることが妥当であろうか。
第二に、八木氏が著書の11頁を割いて紹介している文献が、一九七二年に公刊されたものだということである。八木氏の著書は二〇〇一年の発行である。2001から1972を引くと29である。
二九年前といえば、その年に産まれた子がもう二九才…、まあ、とにかくずいぶん前だ。
古い本でも古典として命脈を保つものもあるが、八木氏の挙げている『女性解放と現代 マルクス主義女性解放論』はどうなのだろうか。同書の評価については知らないが、少なくとも、一九七二年から二〇〇一年までの間に、フェミニズムが大きな変化を遂げているということは無視できない。
一九七二年といえば、ニクソンの訪中、田中内閣による日中国交回復、沖縄復帰、浅間山荘事件などがあった年である。まだベトナムでは戦争が続いており、つまり東西冷戦のまっただ中だった。
フェミニズム関連ではアメリカで『ミズ』が創刊され、日本では田中美津『いのちの女たちへ』が刊行されている。つまりウーマン・リブがようやく提唱されはじめた時代である。のちに現在のマルクス主義フェミニズムに影響を与えるダラ・コスタ『家事労働に賃金を』も、ポストモダンフェミニズムに影響を与えたドゥルーズガタリ『アンチ・オイディプス』も、初期の上野千鶴子の仕事に影響を与えたボードリヤール『記号の経済学批判』も、この年に原著が発表されたばかりで、もちろん日本には紹介されていない。
ちなみにダラ・コスタ『家事労働に賃金を』の日本版が刊行されたのは原著刊行から一四年後の一九八六年、男女雇用機会均等法が施行され、土井たか子氏が社会党委員長に就任した年である。青木やよひと上野千鶴子の間でエコフェミ論争が繰り広げられたのもこの年だ(青木『フェミニズムエコロジー』、上野『女は世界を救えるか』)。
ついでにこの一九八六年から二〇〇〇年までの関連事項を思い切り大雑把に拾ってみると、
1988年には、子連れ出勤をめぐるアグネス論争。江原由美子フェミニズムと権力作用』刊。
1989年、落合恵美子『近代家族とフェミニズム』刊。「セクハラ」が社会問題。
1990年、上野千鶴子『家父長制と資本制』刊。
1991年、ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』の原著刊。
1992年、吉見義明編『従軍慰安婦資料集』刊。
1993年、ブルセラショップが社会問題となる。性の商品化についての議論が盛んになる。
1994年、宮台真司『制服少女たちの選択』、上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』刊。
1995年、江原由美子『装置としての性支配』刊。
1996年、援助交際と呼ばれる少女売春の増加。セックスワークについての議論が深まる。
1997年、宮本・山田・岩上『未婚化社会の親子関係』、大越愛子『近代日本のジェンダー』、小谷真理『聖母エヴァンゲリオン』刊。
1998年、上野千鶴子ナショナリズムジェンダー』刊。
1999年、バトラー『ジェンダー・トラブル』邦訳刊。
2000年、女性国際戦犯法廷開催。
ド素人が気の付いたことだけでも、これだけのことがあった。
それなのに二〇〇一年の時点でフェミニズムを論じるに当たって、一九七二年刊行の、古典的名著といえるかどうか迷う、当時の入門書、それもマルクス主義の立場に限定して書かれた入門書をもってくるというのはどういう神経か、八木氏の姿勢ははなはだ疑わしい。