左翼とはなにか

昨日はなんとか、id:kuronekobousyuさんのコメントにお応えしようと駄文をつづっているうちに大脱線を繰り返して、自分でも何を書いているのかわからなくなってしまった。
一つ、考え落としていたことがあったので追補する。
左翼を反体制、または体制批判と定義した場合、その内実はさまざまであろうことは昨日述べたが、それにしても、マルクス主義が、旧ソ連などの場合のように国家公認の体制イデオロギーになったことがあったにもかかわらず、なお左翼的政治思想のシンボル的存在であり続けたのはなぜか、ということである。
これはたまたまそうなったのではなく、理由のあったことだろうと思う。
その理由を愚考するに、たいていの政治的言説は、近代国家なり、近代市民社会なりを前提にして考えられている。
ところが、マルクス主義は現実に成功したかどうかはともかくとして、少なくとも創始者であるマルクスエンゲルスの頭の中では、近代市民社会を原理的に批判し乗り越えようとする志向があった(『ヘーゲル法哲学批判序説』、『フォイエルバッハ論』、『ドイツ・イデオロギー』など)。
この点で、近代国家を前提とするか、あるいは近代市民社会の理念の実現を目標とするような、その他の政治言説とは一線を画す。マルクス主義は、原理的には左翼(反体制派)にしかなりようのない思想なのだ。
もちろん、ていねいに見ていけば、そうした企図をもつ社会思想はマルクス主義以外にもあるだろうし、それらと比較してマルクス主義が頭一つ抜け出て左翼思想の第一人者の地位を獲得したのは歴史的偶然の賜物だろうが。
ともあれ、昨日の記事で「左右対立の構図は無効」と言ったのは撤回する。
少なくとも、原理主義的なマルクス主義は今でも左翼でありうる。
ただし、これは左翼=マルクス主義ということを意味しない。左翼の方が広い概念だからである。
そして、右翼と左翼を見分ける基準もここにヒントがある。
見かけがどうであろうと、近代国家・近代市民社会への原理的な批判がその発想の根底に不可欠のものとして含まれている思想は左翼的である。そう言ってよいと思う。
これで右翼と左翼は、はっきり区別できる。
日本の右翼が伝統復古を唱えるわりには、幕府再興とか、建武の中興に戻れとか、いっそのこと再度平安遷都しようとか、どうして言い出さないのか不思議だったが、彼らにとって近代国家を肯定する、というところは譲れない一線なのではないか。
日本に近代国家を創設した明治国家は右翼の主張の原点なのだろう。だから、彼らの言う「伝統文化」のほとんどが明治以前にさかのぼらないのも当然だったという気がする。
このように、近代国家への評価を軸に考えると、復古派も保守派も右翼である。また、右派内部でも誤解されやすいらしく、よく左翼のレッテルを貼られているが、いわゆる進歩派知識人やリベラリストも近代市民社会の原則の枠内で考えているのであれば、やはり右翼である。
しかし、見かけ上は右寄りに見えても、近代国家の原理を批判する意図で前近代的文化の価値を称揚する復古、現体制のなかに自己矛盾的に含まれている近代市民社会を乗り越えるような価値にこだわる保守や漸進的進歩派、などは、原理的には左翼であると言ってよい。
一方で、見かけ上は左翼に見え、場合によっては当人がそれを自称していても、その発想に近代国家を原理的に批判する意図が含まれていなければ、それは体制内改革派、原理的には右派とみなすべきだろう。
なんだか結局、言い古された事柄を蒸し返すだけに終わってしまったような気もするが、とりあえずここら辺で。