『老子』家族的経営

先日、孟子と比較できるかと思って『老子』の「大道廃れて、仁義あり…」の句を引いたが、あの章句のあとには次の章句が続く。

聖を絶ち智を棄つれば、民利百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民孝慈に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊あることなし。この三者は、もって文にして足らずとなす。故に属する所あらしむ。素を見し樸を抱き、私を少なくし欲を寡くす。

ふつうに考えれば「聖を絶ち智を棄つれば」民衆は暴利をむさぼられ、「仁を絶ち義を棄つれば」世の中が乱れ、「巧を絶ち利を棄つれば」犯罪が横行するはずだろう。
今でもあるかどうか知らないが、今から約二十年前、僕が社会人になりたての頃にはまだ家族的経営の会社というものがあった。往々にして親族経営だったが、必ずしも血縁者だけで構成されているわけではなく、縁故を頼って集まったメンバーが、パターナリスティックな経営者のもとで、あたかも家族であるような結束をもって仕事にいそしむ、そんな会社である。形式的には株式会社法で定められた企業だが、内実は半ば前近代的豪農、大店といった方がしっくりくる。私が最初に奉公したところもそんな家族的経営の会社だった。
実際、社内で労組を作ろう、という話が出たとき、古株の管理職が「奉公人仲間の親睦会ならいいんじゃないか」と言ったのを聞いたことがある。一瞬耳を疑ったが、その上司は戦後間もなく同郷の縁故を頼って上京し、社長の家に下宿して働きながら夜間高校を卒業した叩き上げで、酒に酔うと、まだ若かった社長と2人で焼け野原の残る東京を商品を積んだリヤカーを引いて納品に行った思い出話をする人だったから、むべなるかな、と納得した。
私の直属上司を含め、古株の管理職たちはみな社長の股肱の臣を任じ、部長とか課長というよりは番頭さんという感じで、社長も当然、大旦那という風情だった。大旦那の自慢は、事務所の金庫の鍵を閉め忘れても一銭の現金もなくなったことがないこと、そんな会社である。
老子』のいうことが当てはまるのは、このような家族的紐帯によって結ばれた社会ではないだろうか。