中国古典
孟子は、幼い子どもが井戸に落ちようとするのを見かければ、誰しも思わず助けようとするだろう、と言い、その気持ちこそが仁の萌しだという(惻隠の心は、仁の端なり)。(『孟子』岩波文庫、p141) この仁の端を、家族から友人・同僚、地域社会の隣人、やが…
天志篇に続いて『墨子』の宗教論である明鬼篇を読もうと思っていたが、墨家と儒家の対立について別のアプローチがあったことを思い出したので、急きょ『孟子』を読んでみた。
『墨子』天志篇はなんともわかりづらい。現代語訳を追っていけばわからないということはないのだが、どうもヘンだ。
『荘子』天下編は墨家の特徴を「生きては歌わず、死しては服せず」と評した。これは墨家に対する世間一般の見方であっただろう。それでは墨子自身はどう言っているのか。
『荘子』天下編は墨家の理想主義に一定の評価を払いながらも、その実践主義が世間一般の人の生活感情から遊離したもので「其の行ないは為し難きなり」と、それが強者の倫理であることを難じている。 これについて昨日のコメント欄に、id:VanDykeParks2さんか…
戯れに嫌倫家と名づけたある人が、倫理道徳を語ることには、それを貫き実践する強さが資格となると想定し、自分はそんなに強い人間ではない(世間一般の人もそうでしょ、ね)、と表明したくだりを読んで、ある人物とその思想を連想したので、そこを糸口に脱…
「巧言令色、鮮し仁」とはよくいったものだ、とついこの間まで悪口を言っていた孔子の偉さを思い知った。公冶長編には次のようなバリエーションもある。 子曰く、巧言(こうげん)、令色(れいしょく)、足恭(すうきょう)なるは、左丘明(さきゅうめい)こ…
過日、id:kurahitoさんから、示唆に富むコメントをいただいたが、博学にして寸言に複雑な意味を含ませる同氏の意図を汲むことは、器の小さい私の手に余ることなので、無知と浅慮を省みぬまま妄言を連ねる。
だらだらと『論語』における、管仲という政治家についての孔子の評価について、ああでもない、こうでもないと考えていたのは、それが、孔子の説く、仁と礼の関係にかかわるように思われるからである。
司馬遷は、『史記』魯周公世家を終えるにあたり「謙譲の礼法は、形は守られてはいるが、その実行はなんと誤っていることだろう」と言った。魯は、周以来の古いしきたりを守ってきたが、それは裏返せば、時代遅れの古いしきたりにとらわれて弱体化した、とも…
孔子が管仲を高く評価したがらなかった理由として、もう一つ、孔子は斉という国をあまり高く評価したくなかったのではないか、という気もする。
管仲を非難できるとしたら、若いころからさんざん迷惑をかけられてきた鮑叔と、殺されかけた桓公だろうが、その鮑叔に推薦され、命を狙った桓公に許されて大臣に出世したくらいだから、この人については悪口を言うべき人がいない。
くどいようだが孔子の管仲評にあいかわらずこだわっている。
しつこく『論語』から抜き書き。 子貢(しこう)曰く、もし博(ひろ)く民に施(ほどこ)してよく衆を済(すく)うものあらばいかんぞや。仁と謂うべきか。子曰く、なんぞ仁を事(こと)とせん。必ずや聖か。尭舜(ぎょうしゅん)もそれなおこれを病(や)め…
浅野裕一『諸子百家』一気に読了。諸子百家 (講談社学術文庫)作者: 浅野裕一出版社/メーカー: 講談社発売日: 2004/11/11メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (8件) を見る本書によれば、近年、中国で新史料が続々と発掘されていたの…
しつこく『論語 (岩波文庫 青202-1)』のこの章句にこだわる。
『論語』憲問編で、子路と子貢が、管仲が仁であるかどうかについて孔子に問いただしたのは、管仲が仕えていた公子糾に殉死せずに仇の桓公に仕えたことをもってだった。この一件は、「管鮑の交わり」として知られる故事にかかわっている。
『論語』で、管仲の仁についての問答のある編は「憲問」という。憲を問うのかと思ったら、憲が問う、で、憲とは人名だった。そんなことも知らなかったのか、と嗤われそうなことも知らないで読んでいる。
管仲の「衣食足りて礼節を知る」路線に対立する孔子の言葉を『論語 (岩波文庫 青202-1)』発見したのでメモ。
id:knoriさんのコメントに触発されて、ちょっと調べてみました。
私にとって『論語』という本はよくわからない本である。
今夜、遠来の客人を迎えて新年会。 「朋遠方より来たる」の出典はどこだったろう、と調べたら、『論語』の冒頭だった。 子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずしてうらみず、亦た君子…
ベンヤミンに疲れたのでちょっと寄り道。
過日、中国の古典に登場する隠者、狂接輿の歌をうろ覚えに引いた挙げ句、その出典を『荘子』か『論語』かと迷ったすえに『論語』として「『荘子』には孔子を登場させて道家の立場から皮肉る話がいくつも出てくるので、その中の一つだったかも知れないと思っ…
昨日、うろ覚えに引いた狂接輿の歌の出典は『論語』でした。論語 (岩波文庫 青202-1)作者: 金谷治訳注出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1999/11/16メディア: 文庫購入: 29人 クリック: 192回この商品を含むブログ (176件) を見る
復古を唱えるとは、現代を批判するための視座を確保するためで、字義通りに何もかも昔に還れという人はよほどの変人であって、そうした主張が世間に受け容れられることはない。 多少なりとも評判をとっている復古主義は、それが多くの人々の現代に対する不満…
荀子(Xun qing BC.313?-230)は、人間は生まれつき善だとはいえず、礼儀や法律によって正さなければならないとする性悪説を唱えた儒学者である。それは同時に、人間の価値とは生まれつきの本性によって決まるものではなく、努力によって聖人君子にもなれる…