哲学

パトチカ5

この責任との関係づけ、つまり人間的な真正さや真理の領域との関係づけは恐らく、宗教の歴史の胚細胞である。宗教は聖なるものではないし、聖なるオルギアと儀式の経験から直接生じるものでもなく、魔力としての聖なるものがはっきりと克服されるところに存…

パトチカ4の続き

同時にまた、性行動においてはオルギア的領域が不可避的に責任の領域に関係づけられるようになることが明らかである。 この一文に躓いて悩んでいたが、通勤電車のなかで「あっそうか」と気付いた。

パトチカ4躓きの一行

パトチカは、「性行動もまた、日常の世俗性に対するこの魔的な対立物の次元に属するということは、特別な証明を要しない」という。それはそうだろうと思う。

パトチカ3

三たび、フッサール『危機』より。 われわれが、人格の内奥に使命感をもつ哲学者として、真実に生きることに対してもっている全人格的な責任は、同時に人類の真の存在に対する責任をも内包している。(フッサール、p41)

パトチカ2

再び、フッサール『危機』より。 いつのばあいにも、真の存在とは、ドクサのうちにあっては問われることなく「自明的」とされているもの、つまり単にそう思われているだけの存在に対立する理想的な目標、すなわちエピステーメーの課題、「理性」の課題なので…

パトチカ1

暮れに買ったパトチカ『歴史哲学についての異端的論考』をぽつぽつ読んでいるが、たいへん手強い。 歯が立たないというほどではないけれど、パトチカという人の思索の癖のようなものがよくつかめない。 だが、また、繁忙期が近づいてきたので、今のうちに読…

フッサール『危機』メモ、第五節−2

フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)』を、私はうかつにも初めから読んでいなかったようなのだ。 学生時代にこの本を教えてくれた先生の講義では、もっぱら中盤のガリレオ論が主だったので、怠惰な学生だった私は、試験に出そうな…

冗談・現代思想の冒険者たち以外

さるとらさんの『現代思想の冒険者たち以外 00サルトル』http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080213#cを読んで今昔の感に堪えない。さるとらさんとは年の差はそんなに無いはずだが、私が学生のころはまだサルトル人気が残っていて、ベルクソンなどはサルトル…

フッサール『危機』メモ、第五節

最近、仕事以外にもいろいろあって、フッサールのおさらいもままならないまま、年を越してしまった。

フッサール『危機』メモ、第一節〜第四節

もうすっかり頭が呆けているので今さら無茶かもしれないけれど、フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』をしばらくの間、少しだけ、かつ少しずつ読んでみることにした。ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)作者: エドムントフッサ…

ドゥルーズについてのメモ

昨日の研幾堂さんとのおしゃべりのなかで、うろ覚えで話したことが気になったので自分のために確認。

神話的暴力について(メモ)

この半月、読書会に参加するために、ベンヤミン「暴力批判論」ばかり読んでいた。 神話的暴力については前に書いたとおり。 http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20070810#1186746129 これに、「祟り」の語源は神託だろうという柳田国男説を付け加えておく。 …

神話的暴力について

『暴力批判論』において、ベンヤミンは法的暴力の自家中毒ともいうべきジレンマ(これは現代的な言い方をすれば構造的暴力と言ってもよい)を破壊するような「別種の暴力」を要請する。それは「ある決まった目的に手段として関係しているわけではない暴力」…

破壊的性格4

短いエッセイだが、寓意的な表現がうまく読み取れないで苦労した。

破壊的性格3

以下の記事、僕自身わかって書いているわけではないのです。

破壊的性格2

ちょっと脱線したので、昨日の記事の補足です。

破壊的性格1

梅雨明け間近のせいか暑くはないが蒸すので、爽快感を求めてベンヤミン「破壊的性格」(『暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)』岩波文庫)を読んでみる。はにゃーん。 誰にせよ自分の人生を振り返ってみるなら、この人生でかれを悩ませた深刻な…

救命ボート問題

以前、非論理的な前置きだけをだらだらとメモした「姥捨山論争」について、火付け役のx0000000000さんが、別のアプローチから一つの見解を示された。 http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070517/1179380587

メモ

田辺元『歴史的現実』「五 歴史に於ける発展と建設」より。 個人は種族を媒介にしてその中に死ぬ事によつて却て生きる。その限り個人がなし得る所は種族の為に死ぬ事である。我々が何も為す事は出来ないといつて働かないのは、謙遜のやうで実は傲慢である。 …

フランクフルト学派関連文献

友人からのメールをメモのために転載。 フランクフルト学派関連文献を探してみましたが、少ないですね。 ジャーナリスティックものとしては、清水多吉(あの!)の『1930年代の光と影―フランクフルト学派研究』くらいでしょうか。後は、アカデミックなもので…

ハイデガーのご奉仕

ハイデガーは嫌いだが、id:sava95さんが取り上げているのを見て、ついつい読んでみた。

『国家と犠牲』

義父は、勤労動員された長崎で被爆した。そういう個人的事情もあって、原爆については関心があった。

樽のディオゲネス

昨日の愚痴に引いた(樽の)ディオゲネスの逸話が不正確だったので、ディオゲネス・ラエルティウスで確かめた。 彼がクラネイオンで日向ぼっこをしていたとき、アレクサンドロス大王がやって来て、彼の前に立ちながら、「何なりと望のものを申してみよ」と言…

老子・孟子・ルソー

前に、老子と孟子とルソーを並べて「同じく、自然状態を善きものとして考えている」と考えて屁理屈をこねたが、よく考えてみなくてもこれは間違いだった。

アレント『革命について』1 「忙しくなるのでしばらく休みます」と言いながら

『老子』に深入りするとたいへんなことになりそうな気がしてきたので、いつかまた舞い戻ることにして、倫理への関心は維持したまま、少し方向を変えて別の本を読んでみる。

続・情けは人のためならず

t_keiさんから難しいコメントを頂戴したので、先日の「情けは人のためならず」と題した記事について捕捉します。説明になっていないと思いますが、この程度でご勘弁ください。

情けは人のためならず

私は『孟子』の「惻隠の心」の同心円的波及に、ベルクソンが「魂を全く主知主義的に理解することに由来する先験的な推論である」と評した考え方を連想した。

復習中

Kurahitoさんに教えられてアレント『革命について (ちくま学芸文庫)』にハタと気が付き、あわてて積ん読のなかから引っ張り出して読んでいる。アーレントは、10年くらい前にブームがあって、そのころ少し読んだのだけれど、全然わかっていなかった。 『アン…

それではみなさん、どうぞ

もう春ですね。クロトワをクワトロと間違えたボケ頭です。

ベンヤミン『暴力批判論』14どんでん返し

ようやく結論部分にたどりついた。